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2022年12月 4日 (日)

はげ山の百年後 ~標石ツアー2022~

「東京大学赤津研究林サポーターズクラブ シデコブシの会」の恒例の催しです。

●今回の標石たち
いつもの赤津研究林ではなく、曽野町にある穴の宮試験地を歩きます。

前半は、道のない場所をかき分けて登ります。
木々の葉が落ちた今の季節なら、まあ大丈夫です。
「水」標石が続きます。
試験地では川の流量を長年測定しているのですが、
その流域の境界を示す標石です。
昔、東大が設置したものだそうです。

P1000743

途中で「三角點」標石が現れました。
旧字体に喜びましたが、ヘンです。
地形図には載っていないのです。
裏面には点名ではなく「愛知縣」という字が彫られています。
ますますヘンです。
国土地理院はこんなことをしないはずです。
「愛知県が測量用に設置したものでないか」とのことでした。
いやー、こんな三角点があったんですねえ。

P1000748

すると「宮」標石が現れました。
穴の宮試験地は、江戸時代には御林であった場所です。
その後、御料林になったということですね。
地名は「字 穴宮」「字 萱苅」でした。
うん、これで今日は満足です(^^♪。
後半は鉄塔巡検路を快適に下りました。

P1000749

●葉っぱ、葉っぱ、…
この日の半分くらいは、こういう地面だったのではないでしょうか。

P1000738

これ、モンゴリナラ(フモトミズナラ)ですよね。
今日見た落ち葉は、これが一番多かったと思います。
あるところには、あるもんですねえ。
株立ちの立派な木もありました。
圧倒されました。

●石切り場?
この日、気になる話を聞きました。
「近くに花崗岩の切り出し場がある」というのです。
その時は量水堰を作るためなのだろう、と思って聞いていました。
ところが、帰宅してから調べてみると、こんなことがわかりました。

P1000735
(量水堰です)

 曽野町の水田の中に「作石(つくりいし)」と呼ばれてきた花崗岩の巨石がある。
 瀬戸市史編纂監修者からは白鳳期の古代寺院の塔の心柱の礎石であるという見解が出されている。
 近くに「穴の宮」の地名はあるが寺院を示す遺構・遺物は全く見られず、そうした伝承もない。
 周辺には花崗岩の切り出し場もあり、この場所の近くで作られた礎石が残されたという見解もある。
 (引用元はこちら

これは、切り出し場と作石をセットで見に行かねばなりません。

●100年の蓄積を今こそ
東京帝国大学の愛知演習林が設置されたのは、1922年だそうです。
当時の穴の宮試験地は「全山ほぼ裸地」だったそうです。
それから、101年が経過しています。
「創設後、砂防植栽等が施工され、現在は全山緑」です。
(引用元はこちら

この一帯は花崗岩地帯なのですが、地面を見ると、どこもちゃんと土に覆われています。
この日の標石の中には、上面以外すっぽりと腐葉土に埋もれているものまでありました。

江戸時代に御林であった時代から、はげ山の回復のためにさまざまな対策が取られてきました。
それでも、100年前にはまだはげ山だったのです。
それが今の状態になるまでのデータを、東大は取り続けてきました。

今、世界中で地面の荒廃が問題になっています。
「演習林の100年にわたる貴重なデータを活用して、世界の地面も回復させられないかなあ」
なんてことを考えながら帰路につきました。

(注)穴の宮試験地は、赤津研究林同様、立ち入りには許可が必要です。

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