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2024年4月 6日 (土)

涙なくして語れない ~名古屋市・七里の渡し~

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名古屋市熱田区にある「宮の渡し公園」です。
東海道の「七里の渡し」の名古屋側の渡船場があった所です。
往時は東海道で最も旅籠屋が多い宿場だったそうです。

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今でもここから桑名へ船で行くことはできます。
また、堀川をさかのぼれば名古屋城へ行くこともできます。
どちらも観光資源として魅力的だと思うのですが、定期便はありません。
いろいろな事情があるとはいえ、もったいないなと思います。

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この写真、愛知時計の工場です。
この辺りは戦時中、軍需工場でした。
アメリカ軍に度々空襲されました。
精密爆撃ではなく、焼夷弾による無差別爆撃でした。
一般市民が多数亡くなりました。

今回ここに来たのは、カミさんの要望でした。
カミさんの亡母(私の義母)の実家は、この辺りにあったのです。
ご実家は、空襲でさんざんな目にあったのです。
義母は亡くなる前に「もう一度あの場所に行きたい」と言っていたのだそうです。
(それは、かないませんでした)

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この一帯は、空襲の14年後に、今度は伊勢湾台風で大被害を受けます。
そんな悲惨な歴史の場所なのです。
この日はのどか花見日和だったのですが、私は複雑な気持ちでした。

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こうした古い建物は、ほぼ残っていません。
空襲のせいでしょう。
アメリカは他国を「非人道的」とか言って非難します。
しかし、アメリカ軍が過去に日本に行った空襲および原爆投下は、どうなのでしょう。
それこそが、歴史上最大の戦争犯罪なのでありますまいか。
他国を非難する前に、自国の戦争犯罪をきちんと認めるべきではないでしょうか。

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そういうわけで、この場所に立っていると、いろんな人々のことに思いが行くのです。
米軍空襲の戦災者。
伊勢湾台風の被災者。

そして、能登の被災者。
ウクライナの戦災者。
ガザの戦災者。
彼らは、かつての日本市民であり、かつての義母と義祖母なのです。
ああ。

世が安らかになりますように。

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コメント

今日、カミさんが義母の妹さんに会ってきました。
「90年生きてきて、一番許せないのは熱田空襲」
「あの空襲で運命が狂った」
そう言っていたそうです。
子どもだった彼女は、空襲で母と家を失ったのでした‥。

投稿: 縄文人 | 2024年4月 8日 (月) 19:59

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