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2024年7月16日 (火)

小学校教員は「百姓」であれ、と思うのです

●「百姓」とは「百の仕事をする人」
真偽の程はともかく、この説明、好きです。

私の先祖は、犬山市の入鹿村の百姓です。
私、何度も感じるんです。
「オレは生まれながらの百姓なのだなあ」と。

いろんなことをやるのが、楽しいんです。
一つのことを突き詰められないんです。
あれもこれもやるのが、楽しいんです。

家庭菜園をやったり
庭仕事をしたり
裏山で木を切ったり
木工をしたり
ホームセンターで働いてみたり
バイクや自転車をかまってみたり
登山をしてみたり

●小学校教員も「百の仕事をする人」
私、学習塾と小学校と中学校に勤めてきました。
職場が学習塾から小学校に変わった時に、こう思いました。
「小学校って、勉強も教える所なのだなあ」
現在の小学校4年生の場合、国数社理の時間は1日平均3.3時限です。
時間にして、約150分です。
8時間学校にいて、残りの5時間半は他のことをしているわけです。
学習塾とは別世界なのです。
万歩計を付けてみると、私は毎日1万歩以上歩いていました。

職場が中学校に変わると、私は基本的に社会科の授業だけをすることになりました。
これはこれで楽しかったです。
深掘りできます。
1日の歩数は、ぐっと減りました。
でも私としては、社会科・道徳・学活以外の授業をしないのが物足りなく感じました。

中学校の教員は、いくつもの学級を渡り歩いて授業をします。
生徒とは「広く浅い」関わりです。
同じ授業を8回繰り返したりします。

小学校の教員は、朝から帰りまで児童と一緒に過ごします。
「狭く深く」関わるわけです。
あれも、これも、します。
どれも、担任している学級相手に1回限りです。

小学校教員には
「これって、教員がやるべき仕事なのか?」
ということが多々あります。
でも、私はそれが楽しいのです。
ムダではない、と思うからです。

児童と一緒に給食の準備をするとか
児童と一緒に掃除をするとか
児童と一緒に遊ぶとか
机やロッカーの中を片づけられない児童の世話をやくとか
児童の作品を教室にキレイに掲示するとか
児童が帰った後に教室をキレイにするとか
げた箱に入っている上靴の入り方を見るとか

児童と多面的に関わることって、大切なのです。
それは結局、学力の向上にも寄与します。
授業以外の場面で児童に影響を与えられるのが、小学校教諭の醍醐味なのです。

●ちょっと心配してます
近年「教員の多忙化改善」の必要性が説かれています。
でも「授業だけやれば良い」という方向になるのかも、という危うさを感じます。
幼稚園や保育園の保育士さんはお判りですよね。
勉強を教えるだけが教育ではないのです。

減らすべきなのは、事務仕事なのです。
児童に関わる仕事は、たとえ雑務であっても減らすべきではないと思うのです。
この先、教員の仕事が妙な方向に向かうのではないかと勝手に心配をしています。

(余談)
「授業以外の場面」は、中学校の先生にも大切な問題です。
担任している生徒に対して、1日で0~1時間程度しか授業をしません。
1日に一瞬しか接しない、ということが珍しくありません。
ですから、デキる中学校教員はその一瞬にどんな声かけをするかを大事にします。

中学校教員の過労働の主因が、部活動です。
上記の事情と関係しています。
部活動では(熱心な顧問は)授業よりも長い時間生徒と接します。
しかもそれが3年間続きます。
すると、こうなったりします。
「担任の言うことは聞かないが、部活の顧問の言うことは聞く」
まあ、無理もありません。

生徒がそれだけなつくと、顧問の方も力が入りますよね。
「授業よりも、部活動のために学校に来ている」
というのは、生徒だけの話ではないのです。
中学校の教員が部活動をやり過ぎてしまうのには、そういうケースもあるのです。
(もちろんイヤイヤやっている人もいます)

私は「百姓」なので、そこまで部活動にのめりこみませんでしたけどね(^^;)。

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コメント

教師の労働時間問題は私の年代でも話題に上がります。
仰る通りで、友人の息子さんが教師で陸上部顧問なのですが試合の引率などで拘束時間は膨大のようです。

私の通っていた中学はマンモス校で、1学年8クラスありました。
その頃の先生と今の先生を比べると、今の先生のほうが忙しそうに見えるのですが、昔の1学級は50人近くいた記憶があります。
今も昔も同じような多忙業務なのでしょうか。

投稿: 田中英志 | 2024年7月17日 (水) 20:15

いろんな答があると思います。
昔との違いを一つ挙げると
「説明責任を求められることの違い」があります。

今は「情報開示」を求められたら、それができるように準備しておかねばなりません。
大量の記録を残しておかねばなりません。
成績も所見文も根拠を要求されます。
ですから、授業が終わってもさっさと帰れません。

1クラス50人の時代は、その度合が違いました。
大ざっぱでも許されたのです。
保護者からのクレームの類も少なかったのです。
教育界がそれに甘えていたから、今の学校不信があるのかもしれません。

学校現場の願いの一つは「30人学級」です。
きめ細かさを求められるなら、50人や40人なんて無理です。

投稿: 縄文人 | 2024年7月17日 (水) 22:30

なるほど、そういうことも大いに関係ありそうですね。
外側からだけでは見えていない事が多くありそうです。
ありがとうございました。

投稿: 田中英志 | 2024年7月18日 (木) 21:01

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