かつての「三大操車場」 ~稲沢市のスゴい!は木曽川のおかげ(3)~
「JR稲沢駅の南にある、橋の上に来ております」
「鉄道好きのタモリさんには、ぜひ来ていただきたいと思っておりました」
「線路がいっぱいありますねえ」
「タモリさん、ここは何線が通っているかお分かりですか」
「東海道本線、ですよね」
「ということは、線路の数は…」
「上りと下りで2本。
せいぜい4本ですよね」
「じゃあ、なぜこんなにたくさんの線路があるのかというと…」
「操車場、ですか」
「いやー、さすがタモリさん。ご存じでしたか!
こちらの写真をご覧ください」
「1950年に撮られた写真です」
「今よりもっとたくさんの線路がありますね!」
「ここは、稲沢操車場(俗称)があった場所なんです。
野口さん、操車場ってなんだかお分かりですか」
「全然分かりません。初めて聞く言葉です」
「例えばさ、この貨物車は福井から東京へ行く、この貨物車は大阪から東京へ行く、とするでしょ」
「はい」
「どこかで東京行きの貨物車だけをまとめて、それから東京まで引っ張っていく方が効率がいいよね」
「たしかに」
「各地から来た貨物車をバラバラにして、行き先が同じ貨物車ごとにまとめる場所が、操車場なんだよ」
「だから、こんなにたくさん線路が必要になるんですね!」
(こんな看板が立てられています)
(草なぎさんの声で)
稲沢操車場は、1925(大正14)年に作られました。
「日本三大操車場」と言われていました。
100両近くの蒸気機関車がここで働いていた時代もあったそうです。
その後は電気機関車やディーゼル機関車も使われるようになりました。
いろんな機関車や貨物車が行き交う場所だったんです。
その後、鉄道輸送の衰退とともに操車場は廃止され、敷地も縮小されました。
しかし今でも昔の雰囲気が感じられる場所となっているんです。
(稲沢駅にある「愛知機関区」付近の現在の様子)
「さてタモリさん。
こんなに大きな操車場が稲沢に作られたのは、なぜだと思いますか」
「名古屋に近いから」
「そうですね。それは大事なポイントです。
でも、もう一つポイントがあります。
こんなに広いものを新しく作るとなると、何が必要になるでしょうか?」
「広い土地だ!」
「そうです。稲沢には、それがあったんです」
「そうか、ここで木曽川の話になるんですね」
「昔、木曽川本流が土砂を運んできて、広い平地を作った。
そして大正時代になって、そこに三大操車場の一つが作られた、というわけなんです」
「これも木曽川のおかげだったんですね!」
(蛇足)
この件に興味のある鉄道マニアの方はこちらもお読みください。
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コメント
私は高校入学と同時に今住んでいる稲沢市に引っ越したのですが、当時の操作場は線路内立ち入り自由で(今では考えれれないですね)カメラを提げてまだ主力だった蒸気機関車や転車台の写真を撮りに行ったものでした。
ちなみにこの橋は学生時代は鉄橋でしたが、其の後今のコンクリートの陸橋に作り変えられました。偶然ですが私が勤めていた会社の施工です。
投稿: 田中英志 | 2024年8月14日 (水) 21:41
おお、そうでしたか!
あの橋、今では鉄道マニアが撮影をする格好の場所になっているようです。
中に入れなくても、上から撮れる!
御社、貢献してますねえ(^^)。
私は小学生の時に坂の上から貨車が落ちていくのをよく校舎から見ておりました。
投稿: 縄文人 | 2024年8月14日 (水) 21:53