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2024年10月 7日 (月)

倒れる彼岸花を見ながら「ごんぎつね」について考える

我が家の彼岸花は、倒れて枯れ始めています。
これを見ると「ごんぎつね」を思い出します。

●「ごんぎつね」の中の彼岸花
彼岸花は「ごんぎつね」の中でこんな風に登場します。

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「兵十の家のだれが死んだんだろう。」
 お昼が過ぎると、ごんは、村の墓地(ぼち)に行って、六地蔵(ろくじぞう)さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向こうには、お城の屋根がわらが光っています。墓地には、ひがん花が、赤いきれのようにさき続いていました。と、村の方から、カーン、カーンと鐘(かね)が鳴ってきました。そう式の出る合図です。
 やがて、白い着物を着たそう列の者たちがやってくるのがちらちら見え始めました。話し声も近くなりました。そう列は墓地へ入っていきました。人々が通った後には、ひがん花が、ふみ折られていました。
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これだけです。
物語の中で重要な役割を果たしているわけではありません。
なのに、彼岸花に強い印象を抱く読者が少なくないようです。
ネットで「ごんぎつね 彼岸花 意味」と検索すると、…あらまあ。
いろんな人が、いろんな自説を述べています。
面白いことに、てんでばらばらのようです。

彼岸花が登場するのは、2回だけです。
1回目は、美しい場面です。
2回目は、その美しい彼岸花が踏み折られるという無残な場面です。
特に2回目の描写が皆さん気になるようです。
「わざわざこの描写をするのは、作者に何らかの意図があるに違いない」
というわけです。

「踏み折られた彼岸花は、兵十の母を象徴している」
「彼岸花は、母を亡くした兵十の気持ちを表している」
「彼岸花は、ごんのその後の運命を暗示している」
「彼岸花は、ごんの善意が踏み折られるという悲劇の前兆」等々。
なるほど、なるほど。
小学校4年生の授業では、ここまで突っ込めません。
(「ごんぎつね」は長年4年生の教科書に載っています)

Higan_edited

(愛知県半田市矢勝川です)

●南吉の言葉が気になる
10月6日付けの「中日新聞」朝刊に、こんな記事がありました。
新美南吉の日記の中の言葉を紹介するものです。

A「人間は皆エゴイストである」
B「常にはどんな美しい仮面をかむっていようとも、ぎりぎり決着のところではエゴイストである」
C「(エゴイストである)ということをよく知っている人間ばかりがこの世を造ったらどんなに美しい世界が出来るだろう」
D「自分は正義の人間であると信じ込んでいる人間程恐ろしいものはない。かかる人間が現代の多くの不幸を造っているのである」
(楳山正樹氏による紹介)

私、この言葉は知りませんでした。
吸い寄せられました。

「ごんぎつね」で一番問題になるのは、最後にごんが兵十に撃たれる場面です。
相手が4年生だと「最後にわかり合えた」という落とし方になりがちです。
「ごんが助かって兵十と仲直りする」なんていう授業まであるそうです。
でも、上記の言葉を知っていると「ごんぎつね」の読み方が変わってきませんか。
「魔術師」A先生は「人と人はわかり合えない」と小学生に説いたそうです。
教育的にそれはどうかと思うのですが、上記の言葉を知ると「なるほど」と思います。

ごんは、罪滅ぼしだと思って兵十の家にいろんな食べ物を届けます。
しかし、その中には盗んだイワシも含まれていました。
ごんは、罪滅ぼしという正義を行おうとしたのですが、それはエゴイスティックだったのです。
始まりも、ごんが軽い気持ちで兵十のうなぎ捕りを邪魔したという行動でした。
そもそも「兵十の母はうなぎを食いたいと思いながら死んだ」
というのはごんの勝手な思い込みだ、という指摘もあります。
ごんは、正にエゴイストでしょう。

兵十は、善意で食べ物を届けるごんを「またいたずらをしに来たな」と思い、撃ちます。
ですから、撃った後に、まず家の中を見ます。
この時まで、いたずらぎつねを退治するという正義を行ったつもりでいるわけです。
上記のDの言葉そのものの結末です。
現在のパレスチナ等が重なって見えてくる言葉でもあります。

かつてA先生は、こう言っていました。
「この話は、南吉の不遇な人生の反映なんだ」と。
ううむ。
そうかもしれません。

しかし私は、上記のCの言葉が気になるのです。
南吉は現世を呪うばかりではなかったのでしょう。
彼が考えた「美しい世界」はどんなものだったのでしょうか。
彼の作品の中に、Cを表すような作品があったでしょうか。
図書館に行って、全集にあたってみたくなってきました。

今日のNHKニュースで半田市矢勝川の彼岸花が紹介されていました。
ここは南吉の生家が近く、今は南吉の記念館まで建っています。
そして矢勝川は、一面彼岸花が咲く美しい場所として愛されています。
それはもう「曼殊沙華」と呼びたいほどの美しい光景です。
南吉が今、あの光景を見たら何と言うでしょうか。
今や曼殊沙華が一面に咲き、自分の作品が評価されているのです。
それを見て「考えが変わった」と言うでしょうか。
それとも「もっと美しい世界があるんだ」と言うでしょうか。

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