ペシャワール会報に涙する ~水といのちと希望~
「ペシャワール会」から161号の報告が届きました。
●昔の日本もこうだったのでしょう
用水路は、作ったら終わりではありません。
洪水やら、水位変化やら、漏水対策やらがあるそうです。
そうした報告を読むと、先日見てきた六把野井水や枝下用水のことが思い浮かびます。
どちらの用水路も、日本がもっと貧しかった時代に作られました。
最初から今のような立派な用水ではありませんでした。
今のアフガニスタンでの苦労の報告を読むと、思うのです。
昔の日本も、こうだったのだろうな、と。
●「こんな日が訪れるなんて」
こんな話が紹介されています。
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アフガニスタンから来日した技師が、用水路や農地の様子を見せた。
すると、通訳をしていた在日アフガニスタン人女性が泣き始めた。
「私の国に‥こんな日が訪れるなんて‥夢にも思わなかった」
「(中略)あなたたちは私のヒーローです。ほんとに‥本当にありがとうございます」
そう言って、彼女は泣き続けた。
翌日、中村哲氏(故人)に、このできごとを伝えた。
中村氏は、涙を浮かべて押し黙り、最後にこう言った。
「…きもに‥めいじます…」
この話を書いた樋口孝氏は、こう書きます。
「それまでの先生(中村氏)は私が想像すらできない辛い事、悲しい事、苦しい事などの経験や思い出が沢山ありながらも、歯を食いしばり、現地のか弱き人々を守っていきておられたのでしょう」
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●いつの日か アフガンだって
(なんとサツマイモです)
六把野井水が最初に作られたのは、江戸時代初期のことです。
江戸時代の人口については諸説ありますが、こう言って良いと思います。
「江戸時代には、人口は停滞していた」
原因はいろいろ挙げられますが、要は「十分な食料がなかった」のです。
そして、その後の日本はその状態を脱したのです。
用水路の整備は、それに貢献していたことでしょう。
アフガニスタンは、何十年も困難な時代が続いています。
しかし近年の日本では、ほぼ報道されません。
そんな中でアフガニスタンを援助し続けるペシャワール会は、貴重な存在です。
私は、細々とではありますが、同会を応援し続けています。
いつの日か、アフガニスタンが立ち直ったと言える日が来るのを信じて。
ペシャワール会の活動報告はこちら
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