戦争の負の記憶 ~長野県天龍村・平岡ダム~
8月15日。
戦争遺跡に行きたくなりまして。
このダムの着工は、1940(昭和15)年だそうです。
「朝鮮・中国の人々や、米国・英国などの捕虜を強制労働させる事態となり、多くの犠牲者を出した」
(国交省のWebサイトより)
戦後になって、慰霊碑が造られます。
ところが、こうなっているのです。
A 中国人犠牲者慰霊碑 建立: 1963〜1964年頃
B 平岡殉難者慰霊碑 建立: 1953年 日本人の殉職者氏名 中国人や韓国・朝鮮人の犠牲者名を刻む
C 連合軍捕虜の鎮魂碑 建立: 2000年 かつて周辺に連合軍捕虜の収容所があったことから、米英などの犠牲者・捕虜を弔う
慰霊碑の対象者と建立時期がバラバラなのです。
場所も、慰霊行事もバラバラです。
私が今日見ることができたのは、Aだけでした。
立派な慰霊碑でしたが、解説看板はありませんでした。
発電所が完成したのは、1951年です。
戦争には間に合わず、戦後の復興を支えることになります。
「日韓併合~満州国建国~太平洋戦争」という一連の流れの中で、日本は多大な恨みを背負うことになりました。
今でもそれは尾を引いています。
「もう謝らない」
「反省なんてしない」
そう言う人がいます。
その反面、原爆被害とか北方領土占拠とかについては、今でも言い続けています。
自国がやったことに向き合わず、やられたことだけを訴えても、他国の理解は得られないでしょう。
「あの時代の国民は、指導層にだまされていた」という考え方があります。
しかし、戦争に積極的に協力した国民が、少なからずいたのです。
時局に乗って、朝鮮人や中国人や捕虜を弾圧した人が、少なからずいたのです。
日本人にひどいことをした人も、少なからずいたのです。
(その中には教員もいます)
それを「だまされた」で済ませては、いけないと思うのです。
アウシュビッツでの虐殺について
「命令されたからやっただけ」と言うのと同類ではないでしょうか。
今ごろになって、なぜこんなことを書くかというと。
再び、時局に乗って弾圧したり私利に走ったりする奴が増える気配を感じるからです。
今こそ、戦争の負の記憶を残し、考えるべき時機だと思います。
【GB350Sで行きました】
国道153号線は何度走っても気持ちの良い道です。
今回は、県道46号線が嬉しい驚きでした。
景観が良くて、アップダウンを伴うワインディングロードだったのです。
お盆のためかトラックは走っておらず、概ねよく流れていました。
高速道路ではないので、R25よりもGBの方が向いていると感じました。
また、天竜川周辺を走ってみたいと思っています。
| 固定リンク
「その他」カテゴリの記事
- マニアでない人にもイイかも ~可児市・明智城~(2026.10.12)
- 術後にひと苦労 ~白内障手術(1)~(2026.10.08)
- 廃仏毀釈の傷跡 ~中津川市・高徳寺~(2026.10.05)
- 外国人だらけじゃない宿場町 ~中山道・中津川宿を歩く~(2026.10.04)
- 昔の林業のスゴ技に感嘆する ~熱田白鳥の歴史館~(2026.09.30)
「モーターサイクル」カテゴリの記事
- 戦争の負の記憶 ~長野県天龍村・平岡ダム~(2026.08.15)
- バイクで行く納涼ラクちん登山 ~碁盤石山 西納庫ルート~(2026.07.26)
- フェンダープラスって、どうですか ~フェンダーレスじゃなくて~(2026.06.11)
- 絶景ではあるけれど ~恵那市・風力発電所「風の森展望台」~(2026.06.10)
- 絶景が見ごろです ~恵那市の棚田めぐり~(2026.05.30)







コメント