2026年10月
2026年10月14日 (水)
2026年10月13日 (火)
自転車のアルミフェンダー修理
この穴、わかりますか。
ダボスE601に付けた本所のアルミフェンダーです。
気がついたら、フェンダーに大穴が開いていました。
(もっと早く気づけよ)
もう、金具でフェンダーを支えることができません。
ひとまず、フェンダーを外すことにしました。
フェンダーが無いのが、標準状態です。
世のロードバイクにも、ほとんど全てにフェンダーが付いていません。
でも。
フェンダーがないと、自転車の汚れ方が何倍にも増えるんです。
フェンダーがないと、スポルティーフに見えないんです。
E601を買った店に持っていくことにしました。
三つの選択肢を考えていました。
A 新品の本所のアルミフェンダーにする(入荷すれば、の話です)
B その辺にあるポリカのフェンダーにする
C 穴に当て板をして今のフェンダーを修理する
上から順に、高額です。
上から順に、見た目は良くなります。
自転車屋さんの判断は、Cでした。
大穴の開いたアルミフェンダーの裏に、ポリカのフェンダーを切ったもので裏打ちしてくれました。
他の箇所の修正と合わせて3000円でお釣りが来ました。
これで数年もってくれれば、大満足です。
見た目も機能も、この状態がベストだと思います(^^♪。
こうなってみると、いろいろ思うところがあります。
フェンダーのメンテナンスを細かくやっていたら、大穴が開くことはなかったのかも
最初からフェンダーの裏に補強材を入れておけば、大穴が開くことはなかったのかも
モーターサイクルのカスタムパーツであるアルミフェンダーも、油断すると大穴が開いてしまうのかも
でも、アルミのあの色が好きなんです、私。
ポリカの方が安くて丈夫なんですけど、ねえ(^^;)。
2026年10月12日 (月)
マニアでない人にもイイかも ~可児市・明智城~
大河ドラマ『麒麟が来る』から6年。
この地は、明智光秀の出身地だということになっています。
立派な大手門!
立派な石畳はずっと上まで続きます。
やり過ぎだと思いますが、歩きやすいのは確かです。
解説看板も充実しています。
頂上には立派な展望台があります。
展望台は明智庄の方を向いています。
でも、光秀の銅像はなぜか反対側を向いていました。
周遊できるようになっているのも嬉しいポイントです。
(看板には「25分で一周できる」と書いてあります)
(私はその倍かかりましたが)
ただ、山城らしさが損なわれている感もあります。
この城は斎藤義龍(道三の子)に落とされています。
どの場所からどのように攻めたのでしょうか。
(守りが強固な城だとは思えません)
(義龍は何度も信長に勝っています)
光秀は、落城の際にこの地から逃れたと言われています。
この前後、光秀の人生には謎が多く、いろんな作者の創作意欲をかき立てています。
二の丸には落城の際の犠牲者の塚が残っています。
見どころが多く、よく整備されています。
地元の方々の愛を感じました。
ただ、下りの「搦手道」は整備が追い付かず草木が茂っています。
道も石畳ではありません。
10月でも虫除けは必需品なのでした。
明智光秀については「逆賊」とされた時代もあったそうです。
しかし明智一族の菩提寺は今も残っています。
娘である玉(細川ガラシャ)の血筋は、現在の天皇家に続いています。
光秀は、ゆかりの各地で今に至るまで慕われているようです。
近年話題のあの政治家たちは、後世このように慕われるのだろうか、とふと考えてしまいました。
【蛇足】
「明智城」は可児市にある城です。
恵那市には「明知城」があります。
明智氏と縁があるのは、前者です。
しかし後者も光秀との縁を宣伝しているのです。
そのため、少々ややこしいことになっています。
「どちらかが誤り」ではなくて、異説を楽しむという態度で臨みましょう(^^;)。
【蛇足2】
現在「明智駅」は二つあります。
恵那市明知鉄道「明智駅」
可児市名鉄広見線「明智駅」 です。
前者は1985年に「明知駅」から「明智駅」に改称されました。
後者は1982年に「伏見口駅」から「明智駅」に改称されました。
以来、同じ岐阜県に「明智駅」が二つ併存する状態が続いてきました。
(私としてはどちらの改称にもいささか無理があると思うのですが)
ところが可児市の「明智駅」は2029年4月に廃駅となります。
名鉄広見線の新可児駅 ~ 御嵩駅間が廃線されることになったのです。
今の時代になっても、栄枯盛衰は続くのでした。
2026年10月11日 (日)
あぜ波板で防草するのだ ~家庭菜園をリセット(1)~
こんな具合になります。
ウチの菜園には、ブロックを越えて雑草が侵入してきます。
やっかいなのは、ササとスギナです。
掘ってみると、ブロックの下から侵入しています。
ならば、ブロックよりも深く穴を掘って、そこにあぜ波板を入れようと考えました。
30cmのあぜ波板です。
本来は田んぼで使うものです。
あぜ波を埋める作業は、予想外に手間取りました。
ウチの菜園は、畑ではなかった場所です。
30cm掘るのが大変なのです。
最初は平スコップを使っていましたが、途中からツルハシの出番になりました。
それでも、30cm掘れない場所がありました。
今日はひとまずここまでにしました。
問題は、この後です。
A あぜ波を25cm程度の幅に切る
B コンクリートハンマーで強力に深く掘る
どちらもちょっと面倒です。
どちらもそれぞれ魅力を感じます。
うーん、どうしようかな。
【補足】
6年間、家庭菜園を楽しんできました。
近年は「不耕起・黒マルチ」でやってきました。
どんどん収穫量が落ちてきて、今年は壊滅状態でした。
私の手入れが悪いためもあって、草ぼうぼうになってしまったのです。
事ここに及んで、リセットを決意しました。
堆肥をすき込んで、耕します。
この機会に、囲いを越えて侵入する草への対策もしたという次第です。
波板を埋めたら、次はブロックの穴をふさぐつもりです。
2026年10月10日 (土)
枝下用水支線を走る(1)~東用水・中用水~
今回は分水池の先を走ります。
●中用水
東名高速道以北の区間です。
「枝下中用水緑道」という表示があり、たどりやすい道になっています。
独立した道なので、車におびえずに走れます。
むしろ、こちらが歩行者に迷惑をかけないように走らなくてはいけません。
この雰囲気、私は好きです。
散歩している人を何人も見ました。
その気持ち、わかります。
(なにしろこの道の下を矢作川の水が流れていますからね)
●東用水
トヨタ自動車上郷工場付近です。
支線では、水は地下のパイプラインを流れています。
この付近は用水路をたどるのが難しかったです。
知らなければ、普通の歩道にしか見えません。
●「枝下緑道」で間違える
私はこの日まず、分水池から南へ下りました。
ところがうっかり「枝下緑道」へ入ってしまいました。
この道、こんな名前ですが枝下用水ではありません。
もっとちゃんと地図を見るべきでした。
下流から上流へとたどる方が間違えないかもしれません。
次は「西用水」です。
(色を着けたいですね)
【上流を走った記録はこちら】
「籠川から分水池までを走る」
「越戸ダムから用水脇を走る」
2026年10月 9日 (金)
40年前のテーマは今 ~昔の教育雑誌を見直す~
実家で山積みになっている私の本を、少しずつ処分しています。
(クリックして拡大して見てください)
この特集テーマ、今見ても「いいな」と思います。
40~34年前の雑誌なのですが。
若い先生は、読みたくなるんじゃないでしょうか。
「こんなテーマ、今の時代には古いよ」
というものが、ほとんどないでしょ。
医学雑誌や工学雑誌ではあり得ないことですよね。
「言語教育と文学教育」という問題は、1955年くらいに始まったと思います。
それが、1991年の雑誌でこうして採り上げられています。
そして、今でも高校国語の「論理国語」「文学国語」を巡って議論が続いています。
いやあ。
「日本の初等・中等教育は世界でもトップレベル」
ということになっています。
でも、こうして昔の雑誌のテーマを見てみると
「進歩が少なすぎるんじゃないか」
そう思ってしまいます。
(教育は変わらないのが良いのだ、という考え方もありますが)
【余談】
それにしても。
今の若い先生は、このテーマを見てどう思うのでしょうか。
「今は、こういう教育の本来的な課題について研究する余裕なんてありません」
そう語る先生が、あちこちにいるんじゃないでしょうか。
近年は次から次へと、新しい教育課題が現場に入ってきます。
「ICT」
「思考力」
「働き方改革」等々。
時間もエネルギーも、そういうことに費やされてしまいます。
私の若い頃は、今ほどひどくありませんでした。
授業について学ぶことに注力できました。
学べば、成果や進歩を実感できました。
楽しい時代でした。
今の若い先生たちは、そういう喜びをどれくらい知っているのでしょうか…。
【補足】
昔の雑誌を読みたくなった、そこの現役の先生!
教育センターとかに行けば読めますが、行くのは大変ですよね。
明治図書の「教育記事データベース」はご存じですか。
私の若い時は、こんな良いものはありませんでした。
この点では、今がうらやましいなあ。
2026年10月 8日 (木)
術後にひと苦労 ~白内障手術(1)~
まず、左目の手術をしました。
(しばらくの間、3種の目薬を使います)
●片目でひと苦労
手術後は翌日まで眼帯(大きなガーゼ)になります。
片目でものを見ることになります。
この状態で帰宅するのは、少々大変でした。
右目だけになってみると、世界が白く曇っているのです。
おまけに、ピントも合いません。
スマホの文字が読み取れません。
老眼鏡をかけようにも、大きな眼帯が妨げになります。
グーグルマップに頼って帰ろうとしても、まず操作が困難です。
苦労して結果が出ても、それを読み取ることが困難です。
イヤホンも持参したのですが、それも正しく操作しないと役立ちません。
視界が半分になっているので、初めての道を歩くのも少々苦労します。
まるで自動車学校の生徒のように、いちいち首振り確認をしながら歩きました。
左の足もとが見えないので、段差で転びかけたこともありました。
家に帰っても、本もスマホも読むのが困難です。
もちろん風呂には入れません。
TVをダラダラ見て、あとは早めに寝るしかありませんでした。
(内服薬とか就寝時に使うゴーグルとか風呂の際に使うパッチとか)
●田舎住民特有のひと苦労
翌朝は、なんと8時45分に眼科に来るように指定されました。
それに間に合わせるためには、私の場合6時台のバスに乗る必要があります。
前日と違って、通学時間帯です。
バスは小~高校生で大混雑です。
1時間以上、ずっと立っていました。
こういうの、大学生の時以来でした(^^;)。
●もちろん悪いことばかりじゃありません
昨日と今日は何の予定も入れてありません。
ですから、バスと徒歩で往復3時間かかっても、それは楽しい経験でもありました。
それぞれいろんな発見がありました。
「ああ、これぞスローライフだなあ」と思いました。
(二つのバスを乗り継ぎます。桜の紅葉が始まっています)
眼帯を取った左目は、それはもうクリアに見えるようになりました。
右目だけで見ると、ソフトフィルターをかけて全体に薄く黄色を乗せたような見え方です。
こんなに変わるのか、と驚きました。
今までの老眼鏡だと度が合わないので、万全ではありません。
右目も手術して、もう少し経ってから眼鏡を作り直すことになります。
楽しみだなあ(^^♪
手術自体は、実にあっけなく終わりました。
何の痛みも辛さもありません。
驚きました。
医学の進歩を実感しました。
それに比べて教育の世界ときたら…。
再来週に、右目の手術をします。
当分の間、いろんなこと(運動とか木工とか)を控えなくてはなりません。
まあ、仕方ないですね。
田中さんがおっしゃっていたように、得るものが大きい手術でした。
(「白内障と眼内レンズ手術」より)
【補足】
ですから、送迎してもらえばこういう苦労は激減します。
同じ日に手術した人が何人もいました。
60歳を過ぎたあなたも、どうです。
2026年10月 7日 (水)
外仕事には竹背負いかご!
屋外作業の際に使います。
いろんな道具を入れられます。
長いモノでも入れられます。
さっと出して、さっと片付けられます。
現場まで背負って行けます。
簡素な作りですが、背負い心地は悪くありません。
背中に当たる部分が適度にたわむのがイイ感じです。
背負いヒモの長さは調節できます。
(地面に置いた際にカゴ本体が傷まないように考えられています)
今までは、行き先によって入れ物を使い分けていました。
お寺と枝下旧用水路では、プラスチックのコンテナ
(持ち運びに適していません)
登山道整備では、登山用ザック
(道具の出し入れが不便です)
竹背負いかごなら、今までの不便が解消します。
どこへ行くにも、これで済みます。
フタはありませんが、私の使い方ではその方が便利です。
しかも、私は竹かごが好きなので、気分がアガります(^^♪。
ネットでも容易に買えます。
でも、これに関しては細部のつくりをチェックしたかったのです。
実際に背負ってみたかったのです。
そう思っていた矢先に、中津川のステキな雑貨屋さんでこの竹かごに出会ったのです。
見て、背負って、納得して買いました。
もちろんあまりにも重いものを運ぶのには適していません。
もちろん長い時間背負い続けるのにも適していないでしょう。
もちろん折りたためないので、使わない時にもある程度場所を取ります。
私の場合、それらの欠点?は問題になりません。
背負うたびに、下ろすたびに「買ってよかった」と思います。
【補足】
これを買ったのは中津川宿にある「杉本屋商店」です。
竹かごがいっぱいあって、私は興奮してしまいました。
危険なお店です(^^;)。
2026年10月 6日 (火)
ヒモも網もダメなら刺してみな ~干し柿作りでいやはや(2)~
45センチの竹串です。
そこらの店ではなかなか見つかりません。
30センチ竹串なら、100円ショップでも売っています。
でも、私が使っている干し柿棚への収まりが良くないのです。
先週は、干し網を使っておりました。
これなら、外に干せます。
ところが、つぶれて腐る柿が続出しました。
そこで今週は全部串刺しにしたという次第です。
つぶれて腐った原因は、まだ確定できておりません。
今年は、ヒモでつるした柿も次々と腐ってしまうのです。
もう、わけが分かりません。
A 何らかの理由でウチの今年の渋柿は腐りやすい菌?が入っている
B 黄色いうちに収穫して追熟させるというやり方が良くない
C 追熟させた柿を干し柿にするタイミングが良くない
今日の段階では、竹串柿が一番安定しています。
竹串でキレイに干せるなら、AやBではないでしょう。
さて、来週はどうなってるかなあ…。
2026年10月 5日 (月)
廃仏毀釈の傷跡 ~中津川市・高徳寺~
●痛ましいです
このお地蔵さん、首が折れています。
こんなお地蔵さんが、何体もあります。
住職さんいわく
「頭と胴体が合っているかどうか、分かりません」
この石碑も折られています。
明治初期に行われた「廃仏毀釈」です。
当時この地方を治めていた苗木藩は、これを徹底的に行いました。
領内の寺全てを取り壊して廃寺
仏像・仏具・経典、個人の位牌は破棄または消却
僧侶は還俗
墓石に刻まれている法名は削除させて俗名とする
各家庭にあった位牌は廃棄
領民は強制的に神道に宗旨替え
ここまでやったのは、全国でも珍しいようです。
ウィキペディアには「苗木藩の廃仏毀釈」という独立したコンテンツがあるほどです。
この地にあった寺院は廃寺になりますが、8年後に再興されます。
持ち去られて他所へ行っていた本尊や、埋めて隠されたお地蔵は戻りました。
でも、第二本尊や仁王像は木曽川に投げ捨てられ、戻りませんでした。
そんな歴史のためか、今では小さく新しい本堂が建っています。
裏山には、いろんなものが立っています。
第二本尊「蛙薬師」は、巨石の下に安置されています。
なかなか見ごたえがあります。
昭和9年にコンクリートで建立されたそうです。
高徳寺の、今に至る歴史を読むと、苦難の連続です。

後ろを見ると、恵那峡(木曽川)の景観を見渡せます。
この地で起きた様々な苦難がウソのような、穏やかな眺めです。
(大井ダムができる前は急流だったそうです)
高徳寺のWebサイトはこちら
ウィキペディアの「廃仏毀釈」
同「苗木藩の廃仏毀釈」
同「苗木藩」
●タリバンとは違って
「仏像の破壊」と聞いて私はタリバン(ターリバーン)を想起しました。
現象だけを見ると、似ています。
旧鹿児島藩では今や「国宝や重要文化財の仏像は1点もない」という有様だそうです。
ただし、日本全国で同じように廃仏毀釈をしたわけではありません。
政府は「神仏分離令」を出しましたが、こうも言っています。
「廃仏毀釈を意味するものではない」
この点が、タリバンとは違うと思うのです。
タリバンは、政権が仏像を破壊しました。
日本は、違うのです。
廃仏毀釈を熱心に行った地域は「やりすぎた」「暴走した」のです。
(その裏にはいろんな理由があったのですが)
ある意味、タリバンよりも始末が悪いかもしれません。
日本が戦時体制になった時代には「お国のため」と称して自国民を苦しめた輩がいました。
自国民を殺したり、自決を押し付けたりする奴までいました。
二度あることは、三度あるのです。
「末端の奴らが暴走して、取り返しのつかないことをやってしまう」
それは、日本でいつか再び起こるでしょう。
もしかして、もう始まっているのかもしれませんが。
2026年10月 4日 (日)
外国人だらけじゃない宿場町 ~中山道・中津川宿を歩く~
中津川宿の代表的撮影スポットです。
この付近には、昔の雰囲気がよく残っています。
解説看板があちこちにあります。
見事な水路に感嘆します。
これは洗い場でしょうか。
ただし中津川宿では、上記のような場所はそんなに多くありません。
宿場町だから昔の景観のまま、というわけではないのです。
(だからこそ妻籠や馬籠は例外的存在として外国人に人気があるのでしょう)
この日の中津川宿は「六斎市」ということで、にぎわっていました。
にぎわっていた区間は、こんな感じです。
この通りは、旧中山道です。
でも「古い建物が立ち並ぶ」という景観ではありません。
まあ、そうでしょう。
住人は、そこで生活しているのです。
今は「昔は宿場町だったのだな」という場所が点在しているという感じです。
私、これはこれでイイと思いました。
街はずれには、D51が保存展示されていました。
この日は中に入り、運転席で警笛を鳴らすことができました。
(素晴らしい音でした)
各所に油が差されて、素晴らしい状態でした。
「これ欲しい!」と何度も叫んでしまいました(^^;)。
(運転席からの前方視界はこんなに狭いのでした)
D51は宿場町の歴史と関係ないと言えば、まあそうでしょう。
でも、昔のものが残っているという点で共通していると思うのです。
D51と中津川機関区については、こちら や こちら をご覧ください。
こうなると、次は落合宿に行ってみたくなります。
今回はカミさんと車で行ったのですが、次は自転車が良いかな…。
2026年10月 3日 (土)
切って切って掃いて ~屏風山登山道整備2026秋~
「瑞浪山の会」恒例の秋の登山道整備です。
大草口と笹平口の二手に分かれて入山しました。
笹平から月山に向かう道です。
ここに三人で入ります。
先頭が草刈機で道を切り開き、二人目がその幅を広げます。
私は最後尾を歩きました。
切られた笹を竹熊手で脇へどけます。
これをしないと、滑りやすい道になってしまいます。
倒木も数か所ありました。
ここ、8月から気になっておりました。
迂回路を歩いてもらっていたのが、ようやく本来の道に戻りました。
笹神山の奥にある大ツガ(瑞浪市天然記念物)です。
私は初めて見ました。
急坂に笹ぼうぼうだったのが、すっきりしました。
この日の黒の田湿地です。
秋の景色になりました。
晩秋になると地元の団体が湿地の草を刈るそうです。
まだシラタマホシクサが見られます。
ネット上では「明智の森」のシラヒゲソウとセットで花見をした報告が複数見られます。
この日はそれを目当てに伊勢志摩ナンバーの車が来ていました。
2026年10月 2日 (金)
みんなで出動しようね ~マキタバッテリー用ホルダー~
重宝しています。
(マキタ純正ではなく互換バッテリーですが)
「マキタの18Vバッテリーを4個まとめて付ける」
ただそれだけの単純な製品です。
私、草刈りや竹伐採や倒木処理に出動することがあります。
行き先は、お寺とか、枝下旧用水路とか、登山道とかです。
そうした際に、バッテリーを最大4個持っていくことがあるんです。
草刈機で2個、レシプロソーと剪定バサミで各1個です。
このホルダーを使うと、4個まとめて片手で持ち出せます。
その後は、バッグの中でバラけません。
しかも、帰宅して充電したら、またこのホルダーに付けておけば良いのです。
次の出動の際に4個集めることなく、さっと出られます。
出動の準備時間が数十秒短縮されます。
(まあ、消防車じゃないからイイんですが)
(さすがにカバーなしで持ち運ぶのは怖いです)
加えて。
出先でバッテリーを使う際も、これが役立ちます。
今までは、外したバッテリーカバーをどこに置いておくかという問題がありました。
カバーがどこかへ紛れ込んでしまう、ということもありました。
このホルダーを使えば、もうカバーは必要ありません。
カバーは家でお留守番です。
(スペアのバッテリーに付けています)
さて、今週の土曜は屏風山で登山道整備です。
(草刈りと倒木処理です)
バッテリー君、ホルダー君、よろしくね!
2026年10月 1日 (木)
私を数えないで ~まだまだヒガンバナの話~
トイレに活けてあったヒガンバナを新しくしました。
(ウチの庭で切りました)
今度は三輪です。
うーん、ゴージャスだなあ(^^♪。
ところが、今年の私は、そこで終わりません。
数えちゃうんです。
わかりづらいですが、花の数は8つです。
花弁は6枚。
おしべの数が7本。
8×6×7ですね。
7×6×7です。
7×6×7です。
三輪で花の合計が8+7+7=22輪。
花弁の合計が6×22=132枚。
おしべの合計が7×8+7×7+7×7=154本 ということになります。
なるほど、そりゃゴージャスに見えますよね。
でも。
こういう見方をヒガンバナは喜ぶのでしょうか。
例えば恋人に、こう言ったらどうでしょう。
「君の目は横幅が3センチで理想的だ」
「顔の横幅がその5倍で理想的だ」
「美しいなあ。素晴らしいなあ」
恋人は喜ぶどころが、怒るのではないでしょうか。
「何を測ってるのよ。私を見て!」
ヒガンバナが怒るとしたら、こうでしょう。
「数えないで。私を見て!」
はい、ごめんなさい。
先日、枝下旧用水路の手入れに行った際に見つけたヒガンバナです。
花が5つのタイプです。
こういうのを見ちゃうと、やっぱり気になります。
だから、数えちゃうんです(^^;)。
【補足】
美人の黄金比については、こちらを参考にしました。
「令和版の美人の黄金比はこれ!おすすめの美容整形も紹介」



































































最近のコメント