東濃地方の魅力

2024年9月11日 (水)

ダムの堤体に潜入 ~小里川ダム~

ウチから自転車で1時間です。

Img_6789_edited

このダムには、道の駅が作られています。
この日も、駐車場は満車でした(平日ですよ)。
しかし、最大の魅力は、ダム堤体の中に入れることです。
ただし、平日限定です。

Img_6795_edited

堤体の中央にエレベーターがあります。
(乗り物は堤体脇の駐車場に停めた方が良いと思います)
エレベーターから降りると、冷やっとします。

Img_6797_edited

外に出ると、ダムを下から見ることができます。
大迫力です。

Img_6819_edited

エレベーターからの地下通路には、展示パネルがたくさんありました。
私には興味津々の内容でした。
それだけに、こんなマニアックな場所に展示するのはもったいないと思いました。

Img_6813_edited

(シデコブシ、キンラン、カキラン、ヘビノボラズ、フモトミズナラ、サクラバハンノキ、ヒメナミキ)

洪水の歴史があったことにも驚きました。
低地ではないのに!
ダム以前の経緯や工事の様子は、事務所でDVD上映されています。
(私は全部見ましたよ)

Img_6798_edited

私にとっては、とても面白い体験でした。
写真を40枚撮りました。
平日に限られるというのが惜しまれます。

(蛇足)
まだ猛暑日が続きます。
(今年の豊田市は愛知県最悪です)
それでも、走るとちょっと涼しくなってきました。
熱中症の心配なく走ることができました。
ようやく。

| | コメント (0)

2024年9月 9日 (月)

ちょっと歴史のお勉強へ ~岐阜の土器・土偶・亜炭~

●可児郷土歴史館「土にこめた祈り ー縄文から古墳ー」
現在、岐阜県内16か所の縄文・弥生遺跡と古墳から出土した「土もの」を展示しています。
私はこの時代の焼き物にあまり知識がないので、勉強してきました。

Img_6775_edited

岐阜県にこんなに遺跡や古墳があるということを初めて知りました。
ああ、恥ずかしい(私は元社会科教員です)。
他にも、大小さまざまな驚きがありました。

火焔型土器は岐阜でも出土している!
オモロイ土偶は岐阜でも出土している!
でっかい壺は岐阜でも出土している! ‥等々。

ああいうモノを作る人々がこんな身近にいたのだ、ということがよく分かりました。
(今まで知らんかったんかい)

●中山道みたけ館 郷土館
上記の施設から、バイクで約10分です。
私が見たいのは「亜炭の歴史」でした。

雰囲気の良い建物の1階は図書館でした。
2階が郷土館になっていて、入場無料!でした。
入ってみると、亜炭についての展示は「ワンオブゼム」という感じでした。
「亜炭で栄えた時代もあった」という扱いでした。
御嵩町では現在も亜炭坑道がたくさん残っているので、センシティブな問題なのでしょう。
どこで掘っていたとか、どこに坑道跡があるとかいう話題はタブーなのかも、と感じました。
それでも、道具の展示とか坑道内のバーチャル体験(実写を見る)とかがあって、私は満足しました。

Img_6777_edited

私には、もう一つ興味がありました。
中山道です。
私には、こんな願望がぼんやりとありました。
「岐阜県内の中山道を歩いてみたい」
御嵩は、中山道の宿場町です。
郷土館には、中山道についての展示や資料が多々ありました。
郷土館付近には、古い建物も残っています。
大いに興味をひかれました。
もう少し涼しくなったら自転車や徒歩で行ってみようかな、と改めて思いました。

(蛇足)
私が長年住んでいた名古屋市名東区は、かつて亜炭の産地でした。
最後に私が住んでいた家から自転車で5分ほどの所でも掘っていたそうです。
近隣の長久手・日進でも掘っていました。
長久手ではかつて大規模な亜炭鉱事故があり、大きなお地蔵さんが立っています。
他にも、亜炭鉱がちょくちょく話題になりました。
区画整理の際に大規模に充填工法で埋めたとか、
資料館で展示しているとか、
陥没事故と亜炭鉱との関係うんぬんとか。
そういうわけで、私はずっと御嵩町の亜炭鉱のことが気になっていたのでした。

| | コメント (0)

2024年5月 5日 (日)

絶景の中で本物のアイスを食す ~東濃牧場~

●山上の別天地です

Img_6402_edited

眼前に、恵那山。
眼下には、阿木川ダム湖。
周囲は、草原。
お客さんたちは皆さん景色の良さに驚き、喜んでいました。

Img_6407_edited
(眼下にはゴルフ場も)

ゴールデンウィークだというのに、全然混んでいません。
おそらく、牧場にはその気がないのです。
商売っ気が感じられません。
事業主が「岐阜県農畜産公社」だからかもしれません。

それでも、ここで絶景を楽しみ、
バーベキューを楽しみ(要予約)、
羊さんと遊べば、楽しいお昼時を過ごすことができること請け合いです。

●ラクトアイスはアイスクリームじゃない

Img_6405_edited

「まきば館」でソフトクリームをいただきました。
牛乳の香りが口にあふれます。
うーん、アイスはやっぱりこうでなくちゃね。

少し前に「ちょっと溶けかけたラクトアイス」を食べる機会がありました。
食べて、驚きました。
「よく冷えてないと、こんな味になるのか…!」
牛乳の味ではなく「油」という味だったのです。

ラクトアイスって、砂糖と植物油脂が主原料です。
牛乳を使った「アイスクリーム」とは別物です。
私は基本的に「氷菓」か「アイスクリーム」しか買いません。
それでも、他人から出されれば「ラクトアイス」でも文句を言わずにいただきます。
これまでは、味には不満を感じませんでした。
そう、先日までは。

あれ以来「本物のアイスクリームを食べたい」と思っていたのです。
そこで、近場の牧場へ来たという次第です。

●補足
バイクで行きました。
往路は「なんじゃもんじゃ街道」を走りました。
今の季節、この道はとても爽やかです。
景色も素晴らしいです。

ところがこの道から東濃牧場に上がろうとすると、驚きます。
小さな看板。
細く曲がりくねった道。
「こんな道の先に本当に牧場なんてあるのか」
とまで思います。
途中で出会ったCB1100のライダーも驚いていました。
(GB350なら平気です)

復路は、阿木川ダム方面へ下りました。
こちらは、車がすれ違える普通の山道です。
看板もちゃんとしたものが出ています。
普通の方には、こちらの道をお勧めします。

| | コメント (0)

2024年4月28日 (日)

理想的行楽日 ~根の上高原にツツジを見に行く~

●ラクチン、キレイ、静か

P1010585_edited

駐車場から、湖岸を1周歩きました。
私は職場でケガをしたので、あまり足に負担をかけられません。
そんな私でも歩ける、広く平坦な道でした。

P1010592_edited

コバノミツバツツジが各所で咲いています。
湿原ではハルリンドウも咲いていました。
それなのに、すれ違う人は1人だけでした。

P1010597_edited

根の上高原には、シロヤシオ、サラサドウダンなど25種10万本ともいわれるツツジが自生しているそうです。
もう少し早い時期でも、もう少し遅い時期でも、楽しめる場所のようです。
歩くコースもいろいろ選べるようです。

P1010596_edited
(トンボもいろいろ見られるそうです)

保古の湖には、国民宿舎があります。
湖岸ではキャンプやボートを楽しむ人が見られました。
しかし「ゴールデンウィーク」という混み方ではありません。
気持ち良くキャンプができるだろうな、と思いました。

●道中もキレイ
行きは主に国道363号線を通りました。
足が痛むので、バイクで行きました。
新緑の広い谷に感嘆しながら走りました。
田には水が入り始めて、こちらも美しい風景です。

この日は最高気温30度でした。
もちろんもう寒くありません。
それでいて、走っていれば長袖でも暑くありません。
この日は数多くの自転車とバイクを見かけました。

P1010595_edited

●ケガの功名?
足のケガがなければ、登山に行きたかったのです。
でも、結果として実に楽しい行楽になりました。
次回は自転車で行ってみよう、と思いました(^^♪。

| | コメント (0)

2023年11月 6日 (月)

城だって今の姿で判断してはいけないのだ ~土岐高山城~

Img_5530_edited

ここまで自転車で行けました。
今までの山城とちょっと違います。

Img_5531_edited

展望はすこぶる良いです。
街を見下ろすと、なんだか自分が偉くなったような錯覚に陥ります(^^;)。
この物見やぐらのセンス、私は好きです。

Img_5533_edited

山の上に井戸があったということに驚きます。
ここも花崗岩地帯なのでしょうか。

Img_5534_edited

高山城は、城よりも宿場町の魅力の方が大きいと感じます。
この旧道、いい雰囲気でしょ。
「中山道」に対して「下街道」と呼ばれます。
(これについてはウィキペディアの説明が面白くて簡潔です)

JR土岐市駅は土岐川の北岸にありますが、城と街道は南岸にあります。
そして、土岐市役所は街道沿いの南岸にあります。
市役所の建物は、高山城物見やぐらのように真っ黒です。
ステキすぎて、とても市役所には見えません。

Img_5527_edited

高山城見学だけだと短時間で終わってしまいます。
高山宿とか、下街道とかをぐるっと見て回ると、少なくとも半日は楽しめると思いますよ。
私としては、土岐市への尊敬の念が一層高まった一日となりました。

(蛇足)
この城、普通の山城と違って、戦国時代や室町後期に作られていません。
なんと1221年に作られたそうです。
戦国期には東濃の城の例にもれず、武田・織田・徳川の勢力間を行き来します。
城主は二転三転し、1615年に廃城になります。
城の歴史が長いので、その間の経緯も興味深いです。

| | コメント (0)

2023年10月28日 (土)

土岐市のものづくりに感銘 ~妻木クラフト展(第10回)~

Img5495_edited

いやあ、面白かったです。
小さな店が30以上、並んでいます。
私は二つ買い物をしました。

Img5493_edited

ガラス細工です。
珍しい品物ではありませんが、カミさんにお土産として買いました。
トシをとったら、明るい色を身に着けなきゃね。

Img5494_edited

革細工です。
もうじき届く予定の私のバイクに使う予定です。
(それについては稿を改めます)

Img5490_edited

予想以上に盛大なイベントでした。
好天のためもあってか、なかなかの人出です。
臨時駐車場は複数用意されていましたが、一つは満車でした。

上の写真の右手前の店は、木工品を並べていました。
よくある杉とか桧とかではなく、いろんな広葉樹を使っていました。
センスも素晴らしかったので、店主としばらくの間話し込んでしまいました。
最近木工をしていなかったので、良い刺激となりました。

Img5492_edited

主会場?の「ギャラリー岳」に行くと、この日のためにいろんな準備がしてありました。
庭はキレイに手入れされています。
ちょうど、木々の葉の色の変化を楽しめる時期です。

Img5491_edited

右端は「芽吹いたモミジ等の苗を使って盆栽を作ろう」というコーナーです。
パラソルの後ろにはアーチがあり、庭を周遊できる小径へと続いています。
このギャラリーは、店内に並んだ作品と庭の両方がアートなのです。

このギャラリーに来ると毎回「センスが磨かれた」と感じます。
今日はいろんな店のいろんな作品を見たおかげで、いつもの数倍センスが磨かれたように思います。
名前を聞いたことがない出品者ばかりでしたが、レベルは低くないと思いました。
土岐市は陶芸の街なので、アートの素養のある方が多いのでしょう。
(木工の店主は東京芸大出身だと言ってました)

いやあ、土岐市は面白いです。
奥が深いです。
まだまだ、いろんなところを見て回りたいと改めて思いました。

この展示会は、明日10月29日も開催されます。
軽食の店もあります。
興味のある貴方、いかがですか。

| | コメント (0)

2023年10月14日 (土)

幸福な幸福な王子かも ~東濃鉄道・笠原線跡~

同じ東濃鉄道廃線跡なのに、駄知線跡とは待遇が違いました。

Img5437_edited

全ての駅跡地に、解説看板があります。
笠原線の解説もあります。
その後「陶彩の径」になったことも解説されます。

Img5440_edited

駄知線跡と同じく、歩行者/自転車道として整備されています。
でも、駄知線跡よりも道幅が広いのです。
道の両側には様々な木が植えられ、きちんと剪定されています。
雑草や落ち葉やどんぐりが通行を妨げることもありません。
その上、ベンチや時計まで設置されています。
おまけに、この道は基本的に笠原川沿いなので、景色が良いのです。

Img5439_edited

そのためでしょう。
この日は実にたくさんの人々をこの小径で見かけました。
散歩をする人、多治見駅まで歩くのであろう人、自転車で走る人、等々。
鉄道が走っていた道なので、勾配がゆるやかです。
歩く人にも自転車で走る人にも優しい道です。

Img5441_edited
(笠原川の支流も立派に整備されています)

さすがに、もう踏切りはありません。
車道を横切る際には(数箇所あります)気をつけなければなりません。
でも、橋に登って車道の上をパスする箇所もまた、いくつかあるのです。
廃線跡を車が通ることはなく、しかも信号は一つもありません。
こんな道なら、多治見駅までの通勤・通学路として毎日通る人がたくさんいるでしょう。

Img5434_edited
(廃線跡にインターロッキング舗装ですよ!)

同じ東濃鉄道廃線跡なのに、整備のされ方が駄知線跡とは段違いです。
なぜでしょう。
駄知線は、土岐市を走り、土岐市駅に接続します。
笠原線は、多治見市を走り、多治見駅に接続します。
往時はともかく、今や多治見市の人口は土岐市の2倍です。
笠原線跡が立派に整備されているのは、多治見市の財政の豊かさの反映なのかも、と思いました。

Img5433_edited
(余裕で車が通れます)

いやあ、ここまで整備され、ここまで使われている廃線跡って、初めて見ました。
レールも駅舎も残っていませんが、笠原線跡は「幸福な、とても幸福な王子」ではないかと感じました。
廃線跡の使い方としては、最上の事例の一つではないでしょうか。

Img5444_edited
(今では車庫跡地からバスが出てきます)

(蛇足)
ロードバイクで走るような道ではありません。
今日なぞは、歩行者に遠慮してゆっくり走る必要がありました。
全長は4.5kmにすぎませんし、アップダウンもゆるやかです。
ママチャリが相応しいでしょう。
一輪車でも良いかもしれません(^^;)。

| | コメント (0)

2023年10月 1日 (日)

駄知民芸館と呼びたい ~土岐市・すりばち館~

やられました。
私には、どストライクだったのです。

Img5397_edited_20231001224301

●外観
中に入る前に、まずワンストライクです。
レンガを積んだ煙突。
古風な建物。
風流なアプローチ。
こんな場所に無料で入っても良いのでしょうか。

Img5382_edited

●展示資料室
ここで、またストライクです。
天井、壁、床、照明、家具。
そして、数々の展示物。

Img5385_edited

全国各地の古今のすり鉢が並んでいます。
壮観です。
よくぞこんなに集めたものです。
日本ですり鉢が登場するのは6世紀からだそうです。
溝が刻まれるようになったのは、鎌倉時代からだそうです。
そんな歴史の中で、すり鉢は全国各地で作られます。
それが今や、ここマルホン製陶所が全国の生産の6割を占めているのだとか。

Img5387_edited

展示されているのは、すり鉢だけではありません。
この建物自体が、昔使われていた作業場です。
煙突の他に、窯も残されています。

Img5383_edited

Img5380_edited
(窯の中をのぞけるのです)

更に、すり鉢とは直接関係のない展示も各所にあるのです。
駄知の街全体がノスタルジックなのですが、ここはその頂点かもしれません。

Img5387_edited
(土壁がまた良いのです)

●即売場
ここで、とどめを刺されました。
ストライクスリーで三振です(^^;)。

Img5388_edited

表題の通り、並んでいる製品が現代の美濃焼風ではなく、民芸そのものなのです。
すり鉢の中の櫛目は、今でも手作業で付けられているそうです。
ほれぼれします。
製品を見ていると、あれもこれも欲しくなってきます。
いかんいかんいかん。
すり鉢をいくつも買って、どうするんだ。

建物は前述の通りステキです。
そして、即売場なのに店内にはレトロな生活用品も展示されています。
つまり、展示資料館と即売場が「民芸館」と呼びたくなる内容なのです。

しかし、この日訪れていた他のお客さんたちは、誰も感動していない様子でした。
googlemapのクチコミも似たような調子です。
ああ、この素晴らしさが分からないなんて…!

●お土産
小さめのすり鉢を買いました。
安いのです。
大量生産する、日用品なのです。
こういう点も「民芸だなあ」と感じます。
それでいて、この美しい櫛目…!

Img5401_edited

このすり鉢は、娘の家に渡って孫の離乳食作りに使われるかもしれません(^^♪。
ウチに留まる場合、漬け物をよそうのに使います。

Img5398_edited
(プランターの代わりにすり鉢に花を植えるのです)

Img5384_edited
(段ボール箱がお洒落なゴミ箱に変身!)

駄知町には、まだ見どころがいくつもあります。
また行こうっと!

すり鉢館のサイトはこちら
マルホン製陶所のサイトはこちら

| | コメント (0)

2023年9月17日 (日)

廃線の50年後は ~東濃鉄道・駄知線~

これは「幸福な王子」なのかな。
「ホメられもせず 苦にもされず」なのかな。
ずっと、そんなことを考えていました。

Img5323_edited
(終点東駄知駅跡にはバス停だけが…)

●幸福な王子?
駄知線は、土岐市駅から東駄知駅までを走っていた鉄道です。
1974年に廃線になっていますから、もう50年経っています。
特筆すべきは、廃線跡がほとんど歩行者/自転車用道路として再整備されていることです。
レールも枕木も残っていません。
もちろん信号や遮断器の類も残っていません。
知らなければ、線路の跡だと気づかない人がほとんどでしょう。

Img5324_edited

この日、私のような自転車乗りには会いませんでした。
散歩する人は、少し見かけました。
また、小学生が通学路として使っているようでした。
もう普通に「道路」として地元に溶け込んでいると感じます。
そりゃあ、50年も経ってますからねえ。

Img5330_edited

オスカー・ワイルドの『幸福な王子』では、王子像は自分に付いている宝石等を人々に与えます。
でも「幸福」なのです。
みすぼらしくなったので、最後は溶かされます。
廃線にされてレールを外されても道として役立ち続けている駄知線を見ていると、
「これは『幸福な王子』なのかもしれない」
と思うのでした。

Img5341_edited
(旧土岐市駅からの区間にはガードレールまで立てられています)

●ホメられもせず、苦にもされず?
名鉄三河線(猿投~西中金)は、廃線になりましたが、地元の人に今も愛されています。
駅の跡は全て保存され、解説の看板が立てられ、キレイに維持管理されています。
三河広瀬駅跡なんて、今でも地域の中心地ではないかと感じます。

旧駄知線は、扱いが違います。
そもそも、廃線跡だという表示がほとんどありません。
駅の跡も、ほぼ残っていません。
「ホメられもせず」とは、つまりそういうことです。

Img5335_edited
(数少ない表示のひとつです)

かと言って、三河線跡は、まだ道としては使いづらい、中途半端な状態です。
旧駄知線は、鉄橋とトンネル以外は道として整備されて使われています。
「苦にもされず」とは、この状態を指しています。

●三河線跡と枝下用水遺構の明日はどっちだ
旧駄知線は、廃線になって50年経っています。
もう、当時を懐かしむ人はほとんどいないでしょう。
三河線跡は、まだ20年しか経っていません。
まだまだ当時を懐かしんで、思い出を大切にしようとする人があちこちにいます。
さて、これがあと30年経ったら、どうでしょう?
廃線後50年経っても、旧三河線の駅の跡を大切にしようとする人がいるでしょうか?
そして、それは枝下用水の遺構についても同様なのではないでしょうか?

現在の保護活動を、次の世代が引き継いでくれるかどうか。
それは、これからの10年20年次第でしょう。
少し前まで、旧三河線の枝下駅~御船橋梁の区間は竹やぶに埋もれていたのです。
枝下用水の遺構も、同じです。

今のままだと、30年後に旧三河線や枝下用水遺構が再び竹やぶに埋もれていてもおかしくありません。
旧三河線は、旧駄知線のように「使える」姿にするのがベストではないでしょうか。
枝下用水遺構は、通常の文化財のように、行政がきちんと保護管理するのがベストではないでしょうか。

Img5326_edited
(駄知にはレトロな建物がいっぱい)

| | コメント (0)

2023年9月 9日 (土)

田舎の歴史にしびれる ~可児市久々利(くくり)~

驚きました。
すごいぞ久々利!

●可児郷土資料館
私の好きな志野焼がいくつも並んでいました。
私、東濃地方の資料館や博物館はいくつも見てきました。
でも、桃山時代の志野焼となると、キレイな状態のものはなかなか見られません。
それだけに、この日は驚いてしまいました。

●久々利城跡
「(可児)市内では金山城に次いで二番目の規模」
(『岐阜の山城ベスト50』)
「土木作業量が大規模であり、久々利氏の動員力の大きさがうかがわれます」
(久々利城のパンフレットより)

Img5294_edited

よく整備されており、歩きやすいです。
ただ、今の季節は虫に刺されるので、短パンや裸足で行くのはおススメしません。

Img5285_edited

この城には「殺した」「殺された」といった、地方領主の悲哀の歴史があります。
そして、山城の例にもれず、江戸時代になると廃城になります。
しかし、その後も千村良重という旗本が城下に陣屋を構えたというのが私の興味をひきました。
それだけ重要な場所だったのでしょう。

●泳宮(くくりのみや)
今回訪れた中で、最も歴史が古い場所です。
こんな伝承があります。
この場所は神社でも寺院でもないのですが、実に大切にされていると感じます。

Img5299_edited
(残念なことに鯉が泳いでいませんでした)

近年では「パワースポット」と言われているようです。
私はそういうのに鈍感なのですが、「そう言われるのもおかしくないな」とは感じました。

Img5300_edited

泳宮周辺の集落も、泳宮に劣らないほど良い雰囲気でした。
何がどう違うのか私には説明できませんが、この集落あってこその泳宮なのだろうと感じました。

郷土資料館も、荒川豊蔵資料館も、久々利にあります。
そればかりか、宮内省所管の墓(崇神天皇の皇子)とか、日本初のロックフィルダムとかもあります。
いろんな時代の歴史遺産がある場所なのです。
あまり知られていないと思いますが、久々利はスゴい!と感じた1日でした。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧