その他

2024年9月 7日 (土)

シエンタ風だがフラムボワイヤンではない ~トヨタ・SORA~

私がホームセンターに出勤するとき、よくこのバスに出くわします。

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トヨタの燃料電池バス「SORA」です。
個性的なデザインです。
この黒いライン、二代目シエンタですよね。
二代目シエンタの発売が2015年、SORAの発売が2018年ですから、同じデザイナーなのでしょう。
シエンタは3代目であの個性的なラインをやめたので、今やSORAだけがあの路線の生き残り?になりました。

私は二代目シエンタを「フラムボワイヤン」と評しました。
でも、SORAにはそれを感じません。

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(フロントにはシエンタの影がありますね)


このサイドビュー、フラムボワイヤンとは違いますよね。
そもそも二代目シエンタと似てません。
これ、私は嫌いではありません。

トヨタさん、次のミニバンはこんな感じでどうですか。

(蛇足)
時々、こんな場面を見かけます。
「SORAの後ろを二代目シエンタが走る」という図です。
写真を撮りたい!と思うのですが、こちらも運転中なのでうまく撮れません。
私の次の職場への通勤路には、SORAが走っていません。
もう、そういう写真は撮れずじまいで終わってしまうかもしれません…。

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2024年8月25日 (日)

脚立から落ちてオーダーインソール

●初めてのオーダーインソールです
整形外科で診てもらったら、インソールを作ることになりまして。
足裏の型を取る、一品ものです。
片足だけで2万円弱かかりました。
(後で保険から補助が下りるそうですが)

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(上が今回作ったもので、下がジーベックの安全靴のインソールです)

土踏まずで体重を支えることで、痛い部分の負荷を軽くしようというねらいです。
型を取ったのですから、足の裏全体に体重がかかるはずです。
ところが、いざ履いてみると、あれれ。
土踏まずがちょっと痛いです。
足の裏ぴったりのインソールのはずなのですが。

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まあしかし、このインソールで4時間立ちっぱなしで仕事をすることはできました。
今までは、夜になると足の痛みを感じましたが、それがなくなりました。

このインソールを安全靴ではなく、長靴に入れてみると。
おお。
土踏まずが痛くありません。
快適です。
長靴の方が靴底が柔らかいので、インソールがたわんでいるのでしょう。

●3mくらいの高さから落ちました
仕事中、両手に重いものを持っていたんです。
12尺の脚立の上でよろけて、足から落ちたんです。
その日のうちに整形外科に行きました。
「異常なし」という診断でした。
湿布を処方されただけでした。

ところが、痛みが引きません。
骨に異状ないのだから、そのうち治るだろう。
そう思っているうち、3か月も経ってしまいました。
別の整形外科を受診することにしました。

レントゲンを撮ってみると、怪しい場所が2つ見つかりました。
えっ。
最初に行った整形外科の診断は、何だったんでしょう。
もっと早くセカンドオピニオンを求めるべきでした。

●登山と自転車は
脚立から落ちたのが、4月でした。
それ以来足が痛かったので、登山も自転車も控えておりました。
さて、このインソールを使うと、どうなるでしょう。
これから少しずつ登山と自転車を再開していこうと思っています。

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2024年8月21日 (水)

これはアラベスク? ~『図書館の大魔術師』~

『図書館の大魔術師』というマンガを少し読む機会がありました。
絵に、しびれました。
カフナ(司書)さんの服装がステキなんです。

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(柱の模様も見てくださいね)

アラベスク模様(アラビア模様)、なのかな、と思います。
おそらく現代日本のマンガ用にアレンジが入っていますけどね。
他の登場人物の服も「イスラム文化圏っぽいな」というものになっています。

ところがです。
こんな絵が出てきます。

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(4人の衣装、それぞれちょっと違うんですよ)

ああっ。
これ、先日「ミュシャ展」で見たやつじゃありませんか。

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アラベスクって、アール・ヌーヴォーに影響を与えています。
そのアラベスクは、ギリシャ・ローマ文明から影響を受けています。
作者の泉光さんは、トルコとオーストリアを視察してきたそうです。
なるほど。

トルコは、アラベスクの本場でしょう。
オーストリアは、ローマ文明の流れを汲んでいます。
アール・ヌーヴォーを好きな私が、アラベスク模様に惹かれるのは、当然かもしれません。
私は今までアラベスク模様に無知・無関心でした。
これからは、アール・ヌーヴォーつながりで勉強していこうと思います。
このマンガが、私をアラベスク模様の世界に誘ってくれたのです。

(余談)
このマンガ、カフナさんが登場するたびに感心します。
「こんな細かい装飾を、よくこれだけ描きこめるものだなあ」と。
これって、全部手で描いているんでしょうか。
そうだとしたら、もはやこのマンガは工芸品ではありませんか。
アニメ化という話もあるそうですが、そうなったらアニメーターさんは大変でしょうね(^^;)。

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2024年8月20日 (火)

日本は利用されてるのか、利用してるのか ~『植物たちの不埒なたくらみ』(稲垣栄洋)~

「果たして、人間がレタスを利用しているのだろうか。
 それとも、レタスが人間を利用しているのだろうか」

稲垣氏は、そう書くのです。

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人間は、レタスを品種改良してきた。
しかし、レタスの立場から見ると、どうか。
本来は、地中海周辺で冬に成長する植物であった。
それが今や、世界中で一年中栽培されている。
植物が光合成をして種子を残すのは、子孫を残し、分布を広げるためである。
レタスは人間に食べられて利用されているように見えても、分布を広げている。
植物にとっては大成功なのである。
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稲垣氏は、そう言うのです。
私はそれを8月15日の直後に読みました。
そのせいか、私にはそれが違った意味に読めてしまうのです。

「アメリカが日本を利用しているのだろうか。
 それとも、日本がアメリカを利用しているのだろうか」

敗戦後約80年経つというのに、日本はいまだにアメリカに対して従属的な立場です。
近年になっても、こんな本が出ています。
『永続敗戦論』(2013年)
『日本はなぜ、基地と原発を止められないのか 』(2014年)
『属国民主主義論』(2016年)

しかし、稲垣氏の文章を読んで、はっとしたのです。
日本はレタスなのかもしれない、と。

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「レタスにとっては、少しくらい食べられることは何でもない。
 とにかく人間に気に入られさえすれば、成功を収めることができるのだ」
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もちろん「日本≒レタス」という解釈には、いろんな反論があるでしょう。
私だって「日本はアメリカを利用しているから良いのだ」と言うつもりはありません。
ただ、こう思っている人は、いるだろうと思うのです。

「日本にとっては、少しくらい従属的になることは何でもない。
 とにかくアメリカに気に入られさえすれば、(自分は)成功を収めることができるのだ」

自民党と立憲民主党の両ウイングの議員さんの本音を聞いてみたい、と思います。
そして、上記のように考えているのなら、「アメリカ」を「中国」に変えることについては、どう考えるのでしょうか。
でも、党首選挙ではこういう事は語られず、枝葉末節の話だけになるのでしょうね。
あーあ。

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2024年8月19日 (月)

万病に効くという矢合観音の水 ~稲沢市のスゴい!は木曽川のおかげ(番外編)~ 

イボが、治りません。
トリプルアタックしても、まだダメです。
稲沢市の矢合観音に行くことにします。

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手押しポンプで水をくみ上げます。
さすがに夏でも冷たい!
この水は「万病に効く」ということで信仰を集めています。

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希望すれば、水にご祈祷をしていただけます。
水は、薬と一緒に飲んだり、患部をひたしたりすると良いそうです。
私、イボのある場所に水をかけてみたら、なんと即日かゆみが止まりました。
1Lいただいてきたので、これから数日かけ続けようと思っています。

濃尾平野では、掘れば井戸水が出ます。
かつては自噴したそうです。
この井戸水は、木曽川のおかげと言って良いでしょう。

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稲沢市矢合町は、かつて国分寺が置かれた地です。
小学校の名は「国分小学校」です。
また、新たに名前を引き継いだ「国分寺」もあります。
オリジナルの国分寺ではありませんが、国指定重要文化財が5つある寺です。
近所の安楽寺にも、国指定重要文化財があります。
この一帯は、そういう土地なのです。

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(矢合町は植木生産の中心地でもあります)

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2024年8月16日 (金)

この夏の大騒動への対応(1) ~水を買え!~

8月8日の地震を受けて「南海トラフ地震臨時情報」が出ました。
ウチの店では、水がよく売れました。
ちょうど特売で安い水をたくさん在庫していました。
在庫はすぐになくなり、次の入荷もよく売れました。

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ウチの店は、便乗値上げをしませんでした。
8日に並んでいた特売商品なんて、倍額にしても売れるくらいの値段だったのに。
格安の値段を続けながら、数日間、異例の売り上げになっていました。
(水以外もあれこれと売れましたからね)

こういう大騒動の時って、どこかで誰かが大儲けしているものです。
コロナ禍でひと財産作った人って、あちこちにいるんじゃないでしょうか。
儲けた人が黙ってるから、分からないだけです。

ウチの店は便乗値上げしませんでしたが、数量限定はしました。
「ひと家族○箱まで」ってやつです。
これ、特売商品なら普段でも見かけますよね。
「臨時情報」の翌日に店長はこう言いました。
「転売ヤーを防ぐために…」
これなんですよねえ。

なにしろ「こんな値段で、利益はあるの?」という値段なんです。
「全部買う→高い値段で転売」
そういう客が現れても不思議ではない状況でした。
水が売り切れたスーパーもあったそうですし。

水を転売するのは、不法行為ではありません。
「悪質」「非道徳的」と感じない人もいるでしょう。
でも、私はイヤですね。
「おてんとう様は、見ている」という価値観に反します。

今回の大騒動では、イヤな話を見聞きしませんでした。
本当に大地震が来たら、どうでしょう。
便乗大儲けを目論む人が、現れないでしょうか。
大丈夫であってほしいな、と思うばかりです。

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2024年8月15日 (木)

日本一のエレベーター工場と砂丘 ~稲沢市のスゴい!は木曽川のおかげ(4)~

●日本1位の工場
「ところでタモリさん、あちらに高いタワーがあるの、おわかりでしょうか」
「さっきから気になってたんです。何かなって」
「では、操車場の近くなので、行ってみましょう」

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(三菱電機ビルソリューションズのサイトより)

「うわー、高いですねえ」
「173メートルあります。
 いなざわ、にちなんだ高さだそうです」
「エレベーターですか」
「三菱電機 稲沢ビルシステム製作所の試験塔なんです。
 日本のエレベーターのシェア1位が三菱で、その全てが稲沢で作られています」
「おおー」
「エスカレーターも作っています。
 横にカーブしたエスカレーターを作れるのは、世界でここだけなんですよ」
「すごーい」
「もう少し低い試験塔もありますね。
 あれも長年、稲沢のランドマークになっていたんです。
 今やこの173メートルの試験塔が稲沢の新たなランドマークになっています」
「離れた所から見ても、目立っていましたものねえ」
「ところでタモリさん、この工場と木曽川の関係、おわかりですか」
「操車場と同じでしょ。広い土地!」
「三菱電機は、もともとは名古屋でエレベーターやエスカレーターを作っていました。
 エレベーターとエスカレーターを作る部門が、1964年に引っ越してきたんです。
 名古屋に近いここ稲沢に、広大な平地があったことが決め手だったのではないか、と私は考えています。
 社史には書かれていないんですけどね」
「これも木曽川のおかげかも、という話なんですね」

●日本二大河畔砂丘?
「今度は、稲沢市祖父江町の砂丘に来ております」
「タモリさんは以前、鳥取砂丘に行かれましたよね」
「はい」
「鳥取砂丘は、どんな場所にありましたか」
「海の近くでした」
「日本三大砂丘、と呼ばれる場所は、みんな海岸にあります。
 ところがここ祖父江砂丘は、日本では珍しい、川岸にある砂丘なんです。
 河畔(かはん)砂丘、と呼ばれます」
「しかしここ、砂丘と言うにはちょっと狭くないですか」
「そうですよね。実は、昔はもっと広かったんです。
 近くで川をせき止めたことで水かさが増えて、沈んでしまったんです。
 詳しくはこちらをお読みください」
「この向こうにあるのは、木曽川ですか」
「そうなんです。
 木曽川が運んできた砂と、季節風のはたらきで砂丘ができたと考えられています」
「たしか、埼玉にも河畔砂丘がありますよね」
「よくご存じですね。
 埼玉の志多見砂丘と愛知の祖父江砂丘は、日本二大河畔砂丘と言って良い存在なんです」
「ここも木曽川の力なんですね!」

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(余談)
祖父江町では、防風林としてイチョウの木が植えられました。
その結果、日本有数のギンナンの生産地になっています。
秋には町が黄色に染まり、黄葉まつりが開かれます。
稲沢の「スゴい!」に挙げられる光景ですが、木曽川が作ったものではありません。

「タモリさん、稲沢と木曽川、いかがでした?」
「いやー、知らないことだらけでした。
 木曽川の力、スゴいねえ。
 地方都市も、実はスゴいんだねえ」
「今に稲沢も、外国人観光客でにぎわう日が来るかもしれませんね」
「ホントにそうだよね」

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2024年8月14日 (水)

かつての「三大操車場」 ~稲沢市のスゴい!は木曽川のおかげ(3)~

「JR稲沢駅の南にある、橋の上に来ております」
「鉄道好きのタモリさんには、ぜひ来ていただきたいと思っておりました」

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「線路がいっぱいありますねえ」
「タモリさん、ここは何線が通っているかお分かりですか」
「東海道本線、ですよね」
「ということは、線路の数は…」
「上りと下りで2本。
 せいぜい4本ですよね」
「じゃあ、なぜこんなにたくさんの線路があるのかというと…」
「操車場、ですか」
「いやー、さすがタモリさん。ご存じでしたか!
 こちらの写真をご覧ください」

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「1950年に撮られた写真です」
「今よりもっとたくさんの線路がありますね!」
「ここは、稲沢操車場(俗称)があった場所なんです。
 野口さん、操車場ってなんだかお分かりですか」
「全然分かりません。初めて聞く言葉です」
「例えばさ、この貨物車は福井から東京へ行く、この貨物車は大阪から東京へ行く、とするでしょ」
「はい」
「どこかで東京行きの貨物車だけをまとめて、それから東京まで引っ張っていく方が効率がいいよね」
「たしかに」
「各地から来た貨物車をバラバラにして、行き先が同じ貨物車ごとにまとめる場所が、操車場なんだよ」
「だから、こんなにたくさん線路が必要になるんですね!」

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(こんな看板が立てられています)
 
(草なぎさんの声で)
稲沢操車場は、1925(大正14)年に作られました。
「日本三大操車場」と言われていました。
100両近くの蒸気機関車がここで働いていた時代もあったそうです。
その後は電気機関車やディーゼル機関車も使われるようになりました。
いろんな機関車や貨物車が行き交う場所だったんです。
その後、鉄道輸送の衰退とともに操車場は廃止され、敷地も縮小されました。
しかし今でも昔の雰囲気が感じられる場所となっているんです。

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(稲沢駅にある「愛知機関区」付近の現在の様子)

「さてタモリさん。
 こんなに大きな操車場が稲沢に作られたのは、なぜだと思いますか」
「名古屋に近いから」
「そうですね。それは大事なポイントです。
 でも、もう一つポイントがあります。
 こんなに広いものを新しく作るとなると、何が必要になるでしょうか?」
「広い土地だ!」
「そうです。稲沢には、それがあったんです」
「そうか、ここで木曽川の話になるんですね」
「昔、木曽川本流が土砂を運んできて、広い平地を作った。
 そして大正時代になって、そこに三大操車場の一つが作られた、というわけなんです」
「これも木曽川のおかげだったんですね!」

(蛇足)
この件に興味のある鉄道マニアの方はこちらもお読みください。

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2024年8月13日 (火)

文化財と植木 ~稲沢市のスゴい!は木曽川のおかげ(2)~

●重要文化財
稲沢市には、国指定重要文化財が23件あります。
愛知県内で3番目に多いそうです。
(人口では21番目なのに!)
そのほとんどは、旧木曽川本流沿いの古い寺にあります。
これも、国府が置かれていたからこそでしょう。

●日本四大植木産地
旧木曽川本流は、多くの土砂を運んできました。
そのため、流域は肥沃です。
更に、国分寺跡付近では砂が多いので、植物が根を張りやすいそうです。
それを生かして、植木の生産が盛んです。
稲沢市は「日本四大植木産地」と呼ばれています。
これも、木曽川のおかげだと言って良いでしょう。

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毎年4月には「植木まつり」が開かれて、にぎわいます。
国府宮神社の参道で行われます。
参道には、石造りの小さな太鼓橋があります。
ここ、かつて木曽川本流が流れていた場所だそうですよ。

(補足)
現在、国府宮駅付近では、旧木曽川本流をたどりづらいです。
国分寺跡付近では、三宅川として明瞭に残っています。
ところがその三宅川を上流へたどっていくと、稲沢町北島付近で不自然な曲がり方をします。
ウィキペディアは、ここを三宅川の「上流端」と書いています。
しかし、かつてはこの先、木曽川までつながっていたのです。

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道路を見ると、この先にも大きな川が続いていたことがうかがえます。
(ここ、タモリさんに気づいてもらう場面です)
ただ、それも「小沢」付近で消えてしまいます。
後世の工事のためでしょう。

昔はどうなっていたかというと、東にある「大江川」まで続いていたのです。
現在の大江川は国府宮神社付近から南に流れていて、三宅川と無関係のように見えます。
しかしこの流路は、江戸時代に行われた工事で変更されたものなのです。
昔は、三宅川←大江川←木曽川 とつながっていたのです。

興味のある方はこちらの文書をご覧ください。
1ページに載っている地図が分かりやすいと思います。

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2024年8月12日 (月)

稲沢市のスゴい!は木曽川のおかげ(1) ~尾張の首府~

●偽ブラタモリ
「今日は、愛知県稲沢市の国府宮(こうのみや)神社に来ております」
「タモリさん、いらっしゃったことは?」
「ありません。聞いたこともありません」
「この神社、はだか祭りで有名なんですよ。
 日本三大奇祭に数えられることもあります」
「ああ、そうですか」

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(稲沢市のゆるキャラです)

「稲沢市には、他にもスゴいものがいろいろあるんです。
 そして、それはみんな木曽川のおかげなんです。
 今日は、それを説き明かしていきましょう」
(音楽♪)

●昔の地形がカギです
「国府宮という字を見て、なにか気づきませんか」
「こくふ(国府)ですか」
「さすがタモリさん!
 昔、この神社の近くに国府が置かれていたんです。
 奈良時代の県庁のようなものですね。
 昔、尾張の首府は稲沢だったんです」
「へー。今は名古屋ですよね」
「では、昔、なぜ稲沢に国府が置かれたと思いますか?」
「うーん、今日は土地が真っ平だし、地質も砂ばかりだろうし…」
「さすがタモリさん!それなんです!」
「えっ…?」
「この写真をご覧ください」

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(クリックして拡大して見てください)

「これ、川ですか」
「昔の木曽川本流です。
 (本流と言っても昔は何本もあったんですが)
 今は三宅川という小さな川ですが、こう見ると大きな川だった跡が残ってますよね」
「見事に残ってますねえ。
 川…、そうか、水運か!」
「鋭い!当時は水運の便が良かったので、稲沢に国府が置かれたのでしょう」
「なるほど。自動車のない時代ですものねえ。
 でも、今のような堤防がないから、洪水が怖くないですかね」
「ああ、そこなんです。堤防もあったんです」
「えっ…?」

(草なぎさんの声で)
川が流れていると、上流から土砂が運ばれてきます。
その土砂は、川の両岸にたまっていきます。
これを「自然堤防」と呼びます。
自然堤防の上は水害に強いので、人々が家を建てたんです。
昔、大きな川だったところは土地が低いので、今も水田になっています。
その少し外側に家が建てられています。

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(8月17日の三宅川と水田)

「旧木曽川の流域には、いろんなものが作られました。
 国府。
 尾張国の総社である国府宮。
 国分寺と国分尼寺。
 古墳もあります」
「ほう。正に尾張の首府だったんですね」
「それはみんな、ここに木曽川が流れていたおかげなんです。
 おわかりいただけたでしょうか」
「ガッテンです(^^♪」

(蛇足)
墓参りの季節です。
ウチの墓へ行く際には、三宅川や国分寺跡を通ります。
それで、故郷の歴史について書いてみたくなったという次第です。

(蛇足2)
今回のネタ、実はNHKに提案したことがあります。
しかし、採用されませんでした。
稲沢市も国府宮も、全国的には無名ですから、無理もありません。
それで、ここに書いておくことにしました。

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