その他

2026年2月17日 (火)

五十肩にチューブトレーニング

これでトレーニングをしています。

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(この下でしゃがんでやっています)

「チューブトレーニング」というやつです。
去年の秋に、肩を痛めまして。
(草刈りをがんばりすぎたのです)
整形外科に3か月通うことになりました。
リハビリの先生に勧められたのが、チューブだったのです。
これなら、家で毎日できます。

買うにあたっては、少々手こずりました。
スポーツ店に売っているものはえらく高価です。
安価なものは、私の使い方に合いません。
アマゾンでさんざん探して、ようやくこれを見つけました。

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(もう1本は今カーテンレールにかかっています)

持ち手やジョイント部分がしっかりしています。
チューブの強度を5種類選べるのも嬉しいポイントです。
それでいて、価格はリーズナブルでした。

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(足に引っ掛けるパーツと、ドア上に引っかけるパーツです)

長年「ブルワーカー」という器具で筋トレをしてきました。
でも、肩が痛む老人にとっては、バネが強すぎます。
しかも、五十肩のリハビリでやっていたような動きはできません。

残念ながら、チューブトレーニングをしても肩は元通りになっていません。
今でもトレーニングのたびに肩から音が出ます。
(それでも以前よりずっと良いのですが)
年をとるって、こういうものなのでしょう。
古い機械をメンテナンスしながら大事に使う、みたいな気分です(^^;)。

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2026年2月16日 (月)

「やりたいこと」と「売れること」(1)~ショスタコーヴィチ「交響曲5番」~

「商業的成功を目的とするなら、クラシックもポピュラー音楽である」

誰の言葉かは覚えていません。
でも、60歳を過ぎた今でも強烈に覚えています。
中学生時代に雑誌『STEREO』で読んだ一文です。
(うろ覚えです)

Shosta

この言葉と、表題の曲が重なるんです。
この曲は、私のSpotifyの「お気に入り」に入っています。
聴くたびに、考えます。

「映画音楽にぴったりだよなあ」
(『ポチョムキン』に使われました)
「お前ら、こういうの、好きだろう?と言われてるよな」
「でも、質は落としたくなかったんだよね」
「指揮者のムラヴィンスキーも、それを解った上で振ってるんだよね」

ショスタコーヴィチは、交響曲5番を出す前に、正に生命の危機に立っていたと伝えられています。
スターリン体制下で、粛清されるかどうかの瀬戸際でこの曲を出して、生き延びたと言われます。
その先入観のせいもあってか、私はこの曲を素直に受け止められないのです。
裏を返すと、そういう事情がこの曲の味わいを複雑にするのです。

●ショスタコだけじゃないよね
「芸術家」の世界では古くからある問題でしょう。
「自分がやりたいこと」を貫いて食っていける人は多くありません。
(広い意味での)お客さんの要望を考慮しないと、カネになりません。

芸術だけじゃありませんよね。
製造業やサービス業の世界でも、これで腐心している人はいますよね。
「こうすれば、売れる」
「でも、それは自分のやりたいことじゃない」
かと言って、こういう製品も珍しくありません。
「いい製品だったけど、売れなかったんだよねえ」
そういう製品を生み出した人たちって、今どう思っているのでしょうか。

●悩む貴方に敬意を払います
乱暴な分類をしてみます。

A やりたいことをやっている 売れている
B やりたいことをやっている 売れていない
C やりたいことを抑えている 売れている
D やりたいことを抑えている 売れていない

もちろんAが最高ですよね。
(先日「日本のアニメは海外ウケを考えていないのが良いのだ」という動画を見ました)
Bは、あちこちで見聞きする話ですよね。
(愛知県では今「ゴッホ展」をやっています)
Dは「お気の毒さま」としか言いようがありません。

Cは、貴方にも身に覚えがありませんか。
多くの芸術家さんも、経験したのではありませんか。
「お客さんが喜んでくれるのが、私の喜びです」
そう割り切れる人は、幸せです。
割り切れない人も、いるのです。
ショスタコーヴィチさんは、どうだったのででしょうか。
表題の曲を聴くたびに、彼の心中を想像してしまう私なのでありました。

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2026年2月10日 (火)

非合理的選択だって選択なのだ ~ある老人の危惧~

選挙で大敗した人の中には、こう思っている人がいるようでした。
「有権者が非合理的な投票行動をしたから負けた」
私はそれを見聞きしながら、こう思いました。
「この人たちには、行動経済学のブレーンがいなかったのかな?」と。

Senkyo

客が「自分で考えて選択した」と思っていても、実はいろんな要素に左右されているものです。
自分では合理的選択をしたと思っていても実はそうではない、ということは今や普通です。
それが非合理的な選択であっても、本人はそれに気付けないのです。

これを利用している売り手の代表はアマゾンで、私はそのお得意さんです(^^;)。
今回の選挙戦では、勝った自民党には行動経済学を理解している強力なブレーンがいたと感じます。
それに対して、あの党やあの党は、あまりにも配慮が無さ過ぎたと感じます。
「正しいと思うことを、ストレートに語れば投票してもらえる」
そう信じているのだろうな、と感じました。

民主主義って、元来ポピュリズムを内包しているものです。
人気取りをしないと、勝てないのです。
内容だけでなく、感情だの無意識だのに訴えないと、勝てないのです。
ポピュリズムをバカにしては、いけません。
ヒトラーをバカにしていた政治家たちは、だから勝てなかったのです。

●危惧その1
私は、次回の選挙について、心配ごとが二つあります。

まず、自民党です。
「有権者なんて、ちょろい。政策を語らなくても勝てる。行動経済学を使えば楽勝」
今回の結果からそういう学習をするのが心配なのです。
小選挙区制で、与党がポピュリズムに走ったら、もう止められないのではないでしょうか。
先の戦争の時と同じで、破滅までいかないと止まらないのではないでしょうか。

●危惧その2
今回、自民の他に「みらい」が伸びました。
彼らは、まっとうな内容をまっとうなやり方で訴えていました。
それが、今回の結果になったのでしょう。
それ自体は良いことだと思います。

でも。
今のままでは、限界があるでしょう。
彼らのまっとうさを理解できる人にしか、響かないからです。
もう少し人間の非合理的な面をくすぐらないと、大きな勢力になれないでしょう。
彼らが今回の結果から「今の訴え方で良いのだ」という学習をするのが心配なのです。
彼らが行動経済学的作戦をとれば、もっと大きく伸びるだろうに、と思うのです。
党首がAI遣いなのですから、その気になれば簡単でしょう。
問題は、彼がそういう作戦を受け入れるかどうか、ではないでしょうか。

●脱線します
アマゾンとかトヨタとかの商売の仕方を見ていると、こう感じます。
「客のことをバカにしてるよな」
「客をちょろいと思っているよな」
「自分が最良と思うものではなく、客をちょろまかせるものを売ってるよな」

選挙もすでにそうなっているのでしょうが、次回はそれがもっとひどくなるのではないでしょうか。
老人の取り越し苦労であれば良いのですが。

【蛇足】
私は、合理的選択と非合理的選択のどちらかにしろと言っているのではありません。
両方をバランスよく使ってほしいと思っているだけです。
(アマゾンに貢いでいるくせに、それを言うんかい)

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2026年2月 9日 (月)

それ、総合点数で決めますか ~GBとSXで迷う人へ~

「GB350とVストローム250SXのどちらにするか迷ってます」
ネット上で、そういう人を複数見かけました。
一見、メチャクチャな悩みのように思えます。
全然別物じゃないか、と言われそうです。

でも、私はそう思いません。
私だって、リターンするときにGBとCRFとSRVで迷いました。
支離滅裂と言われそうな組み合わせですが、どれも好きなんです。
ですから、GBとSXで迷う人の気持ち、よく分かります。

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(350cc20馬力って、昔の軽自動車と同等です)

「GBとSXの両方持っている縄文人さんなら、どちらを薦めますか」
もし、そう訊かれたら。

●相手がバイク歴の短い人なら
その場合は、SXを薦めます。
理由は「やれることが多いから」です。

大きな荷物を積みやすいし
荒れた道でもまずまず走れるし
高速道路もまずまず走れるし
標準でウインドプロテクションが付いてるし

自分がバイクをどう使うかが明確ではない場合には、SXが良いと思うのです。
SXは、いろんな使い方に応えてくれると思うのです。
いろんな項目を立てて総合点数を付けたら、GBよりSXの方がずっと点数が高くなるでしょう。
(もちろん、身長次第でSXのシート高は大幅減点になりますが)

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(SXのエンジンは高く評価されることが多いです)

●でもねえ
自動車雑誌で、そうやって総合点数を付けて比較する記事、読んだことありませんか。
私、ああいうのを読むたびに、違和感を覚えたものです。

買ったら、もう比較なんてしないじゃありませんか。
相対評価ではなく、絶対評価になるじゃありませんか。
「ここが気に入っている」
「ここは良くないけど、許せる」
「ここは、ガマンできない」
そういう評価の仕方になるじゃありませんか。

不謹慎な例えをします。
周りに良い感じの異性が2人いて、どちらと結婚するか迷ったとします。
そういう時に、項目を立てて総合点数を付けて決めますか。
そんなこと、しませんよね。

一緒に生活するようになってからも、結局同じですよね。
総合点数じゃありませんよね。
「気に入っている」「許せる」「ガマンできない」
このバランス次第で、末永く一緒にいたり、別れたりするわけですよね。
バイクや車だって、同じだと思うのです。

●結局のところ
私はGB350Sを選ぶにあたって、弱点は把握していたつもりです。
それを「私の使い方なら、許せる」と判断しました。
「ガマンできない点は、ない」と判断しました。
音や外観については、今でも気に入っています。
飽きません。
買って良かった、と思っています。

バイク歴がある程度ある人なら、上記のような判断ができるでしょう。
それでも迷うようなら、おそらくどちらを買っても幸せになれるでしょう。

「まずAを買って、3年後にBに乗り換える」
そういうのも、アリでしょう。
Aとの生活とBとの生活は違ったものになりますが、どちらも楽しいでしょう。
「両方買う」
それも、アリでしょう。
バイクなら、そういうことができます。
結婚の場合、そうはいきませんからねえ(^^;)。

【蛇足】
先日、GB350Sのナンバー取り付け部分を小改造しました。
ここは、私にとってガマンできない場所でした。
改造すれば許容範囲になる、と判断したからGBを買ったのでした。
改造には、ちょっと費用と時間がかかりました。
でも、それで「ガマンできない」が解消したのですから、満足しています。
結婚の場合、(以下略)。

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2026年2月 8日 (日)

「カワイイ」は日本の伝統? ~『かわいい古代』(譽田 亜紀子)~

「日本は、いつの時代もヒトや動物をかわいく造形してきたのかも」
そんなことを考えました。

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本書は、複数の時代をまたいで、かわいい造形物を紹介しています。
対象となるのは縄文時代、弥生時代、古墳時代です。
全部で71点のかわいい品が出てきます。

●動物たち
「クマ型土製品」という品があります。
縄文時代のものです。
今の時代でも売れそうなかわいさです。
本書の画像は転載不可なので、こちらをご覧ください。

「琴側板」という品があります。
弥生時代のものです。
銅鐸に描かれているのと似た動物です。
角を見ると、羊もいます。
弥生人が大陸からきたことを伺わせます。
縄文時代と違ってシンプルに昇華させています。
でもやっぱり、かわいいのです。
画像はこちら
(上から11枚目の写真です)

次は「鹿埴輪」です。
古墳時代のものです。
あまりのかわいさに、ぬいぐるみ化して売られているそうです。
私も買いたい(^^♪。
画像はこちら

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●人間たち
「人体文土器」(縄文時代)です。
縄文時代では「これって地球人なの?」という人物像が有名です。
でも、こういう素朴な造形を見ると、後世に通じるものを感じます。
こちら

「人面付壺型土器」(弥生時代)です。
弥生時代の土器には無表情の人が多い印象ですが、全ての土器がそうだとは限らないようです。
本書にはもっと素朴でもっと表情豊かな土器も出てきます。
画像はこちら
(2枚目の写真です)

「絵画土器」(古墳時代)です。
弥生時代でも古墳時代でも、技術的に高度なものだと「かわいい」の範疇に入らないものが多いと感じます。
それが庶民的な土器になると、とたんに印象が変わります。
「日本人が描く人間って、いつの時代もこんな風だよね」
そう感じます。
大陸からやってきた高度な技術を持つ人は、前の時代とは違う人物像を生みます。
でも、そうでない人々は、縄文時代からの伝統?を受け継いだ人物像を作り出していたのではないでしょうか。
画像はこちら
(4枚目の写真です)

●ヒトと技術・文化の流入と消化
現在は「日本人のDNAの90%は大陸渡来の弥生系」とされています。
「日本人の祖先は3系統」とも言われます。
その後、大陸や西洋からさまざまな技術と文化が流入してきました。
その結果として、今の日本の「カワイイ」文化があるわけです。

何が入ってきても、それを「かわいい」という形で消化してしまう。
それが日本という場所の特徴なのかも。
小さな一冊の本から、そんな大げさなことを考えてしまったのでありました。

『かわいい古代』(譽田 亜紀子)についてはこちらをご覧ください。

【脱線します】
選挙で排外主義を訴えていた貴方。
貴方のDNAだって、大陸から来たものじゃないんですか。
日本は、他国からいろんなものが入ってきて今があるのです。
そりゃ、外国人が入ってきたら摩擦は起きるでしょう。
でも、そんなことで日本が壊れることはないと思うのですが。
歴史がそれを証明していると思うのですが。
いかがでしょう。
(あの人たちは、本気で言っている人と、そうでない人が混ざっているように感じるのですがね)

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2026年2月 7日 (土)

もっと早く手すりを付けるべきでした

母が、救急搬送されました。
頭から大量に出血しているのを、訪問介護のヘルパーさんが発見してくださったのです。
おそらく外で転んで頭をぶつけたのでしょう。
連絡を受けてケアマネージャーさんも来てくれました。
119番していただき、そのまま入院しました。

私は1時間半ほど経ってから病院に着きました。
「頭蓋骨が見えていました」
「動脈も切れていました」
「高齢なので皮膚が弱いです」
「頭皮と動脈を縫合しました」
「抜糸まで1週間ほどかかるでしょう」
そんな説明でした。

先生は「もう家に戻ってはダメ」と言います。
母は「いつ帰れるの」と言います。
Tesuri

母は、90歳を超えて一人暮らしをしています。
以前から、施設に入ることを拒否しています。
最近衰えが目立つので、外に手すりを追加する準備をしているさなかでした。
ああ、あと1週間早く手すりを付けていたら。
こんなことにならずに済んだかもしれません。
お母さん、ごめんよ。

貴方の身内は(もしくは貴方自身は)、大丈夫ですか。

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2026年2月 6日 (金)

コルティナといえばロータスでしょ ~オリンピックに寄せて~ 

今日、開会式だそうですね。
古い車が好きな人は「コルティナ」と聞けば「ロータス」を連想しますよね。

Cortina

ロータス・コルティナの発売は1963年だそうです。
(「コルチナ」「コーティナ」とも表記されます)
私にとっては、リアルタイムの話ではありません。
「グッドウッド等のヒストリックカーレースでよく見る車」
という認識です。

Cortina3

(やっぱりこの色ですよね)

ベース車となったフォード・コルティナはイギリスの小型大衆車です。
ミニとは違って常識的なつくりで、安くてよく売れたそうです。
それに高性能エンジンを載せたのが、ロータス版です。
大排気量の他車に伍して活躍しました(今でも)。

初代スカイラインGT(1965年)は、ロータス・コルティナの影響を受けていると言われます。
その後も、似たような構成の車がたくさん出ています。
「平凡なセダンに高性能エンジンを載せたスポーツ車」です。

日本では
スカイラインGTR(1969年)
カローラ・レビン(1972年)
ランサーGSR(1973年) 等々。

このあたりから、私にとっては子ども時代のリアルタイムな車です。
軽量ボディ、単純な固定軸、高性能エンジン、という組み合わせがイイんです。
年代や国が違いますが、ジェミニZZとかエスコートRSとかも仲間ですね。
構成がシンプルなので、信頼性が高くて維持しやすいというのが長所です。
近年の高性能モデルはもっと凝った構成なので、素人が手を付けづらくなっています。

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もちろん、昔にも凝ったつくりの高性能車はありました。
ヒストリックカーレースでミニとコルティナが競っているのを見ると、しびれます。

今回のオリンピックでも「パワーと技の競争」が見られるかもしれませんね(^^♪。

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2026年2月 4日 (水)

兵士像たちを前に言葉を失う ~南知多町・中之院~

●圧倒されます

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行く前に、ネットでは見ていました。
でも、実物を目前にすると、口から言葉が出なくなります。

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解説看板には、こうあります。
「昭和12年上海上陸作戦」
「上陸後三月足らずでほとんど全滅」
「遺族が戦没者の一時金をもって写真を基に造らせ建立」

報道では「戦死者〇〇〇名」とひとくくりにされてしまいます。
私は口先で「ひどいな」「かわいそうに」とか言って終わりにしてしまうことがあります。
でも、こうして一人ひとりの姿を具体的に見せられると、もう手を合わせ頭を垂れるしかできません。

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昔、先輩の先生がこんな授業をしたことがあります。
新聞等から、人の顔写真だけを切り取ります。
それを、広島原爆の死者の数だけ集めます(1万人分だったかも)。
写真を紙に貼り、「死者十数万人」を感じさせるというものです。
(今でも、同様のことが世界各地で行われますね)
ここでは、それが立体であり、しかも写真に基づいたリアルな顔なのです。
92体並ぶだけでも、圧倒されます。
これが千体、一万体、十万体だったら、ということまで考えさせられます。

そして一体をじっくり見ると、それぞれの人の人生とか、遺族たちの悲しみとかについても考えます。
私の想像力では、数字だけ見てもそこまでは考えが及びません。
今までの自分の浅はかさをも思い知らされました。

日本は侵略した側だ、という意見もあるでしょう。
日中戦争は国を守る戦争じゃなかった、という意見もあるでしょう。
でも、ここにいる人たちは名古屋にいて、命令されて出撃して、そして亡くなったのです。
見方を変えると、侵略を決めた人たちのせいで命を落としたわけです。

●日中戦争について学びなおす
小中学校の社会科の授業では、こんな教え方です。

1931年 満州事変
1932年 満州国建国
1933年 日本が国際連合脱退 
1937年 戦線拡大 日中戦争
1941年 太平洋戦争

教科書は「15年戦争」の日本人戦死者は300万人以上とひとくくりにします。
TV等では、アメリカとの戦いばかりが取り上げられます。
私、この兵士像を見て「日中戦争でも多くの戦死が出た」ということを思い知らされました。
調べてみると。
「日中戦争における日本軍の戦死者は約40万人」
「15年戦争全体では約230万人 民間人約80万人」
なるほど。
比率で考えると、どうしても中国での戦死は軽視されてしまうのでしょう。
でも、40万人って大変な数です。
(もちろん中国側の被害の大きさを忘れるべきではありません)

日中戦争について改めて学ぶと、ウクライナ侵攻との類似点に驚きます。
「日本軍はすぐ終わるだろうとたかをくくっていた」
「満州事変の段階ではあえて宣戦布告をしなかった」
「中国軍にはドイツが兵器等の支援をしていた」 等々。
NHKさん、これって「映像の世紀」で取り上げるべきじゃありませんか。

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●浅野祥雲氏に改めて感服する
この兵士像を造ったのは浅野祥雲氏だと知って、二度驚きました。
浅野氏は当地では「コンクリート仏像師」として知られています。
関ケ原ウォーランド、五色園、桃太郎神社等にある人体像群が有名です。
私はそれ以外の場所でもいくつかを見たことがあります。
それらの場所はしばしば「珍スポット」として紹介されます。
作品について、ウィキペディアはこう書きます。
「リアルさ、稚拙さ、ユーモラスさを併せ持った作風」

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中之院の像は、他の浅野氏の作品とは雰囲気が違います。
「稚拙」「ユーモラス」は全く感じられません。
浅野氏の他の作品は、故意に「稚拙」「ユーモラス」という味を加えていたのかもしれません。
そう言えばプロ級の画家たちは、こう言いますよね。
「本物そっくりに描くことなんて簡単」
浅野氏にとっての人物像制作も、そうだったのかもしれません。

この兵士像が作られたのは「昭和12年から18年」だそうです。
浅野氏が46~52歳頃の作品ということになります。
脂が乗った時期だったのでしょう。
それにして、これだけリアルなものをこれだけの数作ったというのは驚きです。
浅野氏は、戦争のさなかに、どんな気持ちでこの人物像を造っていたのでしょうか。

●今後どうなる
案内看板は、こう説明します。
「当初は名古屋市千種区にあった」
「戦後進駐軍が取り壊しを命じ」
「僧侶が(中略)あれを日本人の手で壊すことはできない」
「壊すというなら我々をこの場で銃殺した上であなたたちが行って壊せばいい」
「像は壊されずに済んだ」
「ご縁により平成七年に移転」

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(雰囲気のある山門)

この像たちは、二度の危機を乗り越えて今ここにあるのでした。
ただ、作られてからもう90年近く経っています。
雨ざらしで、劣化が進んでいます。
ここに来ようと言ったカミさんの意見は「これでいいんだよ」
私は「屋根くらいかけてあげたい」
コンクリートである以上、放っておけばいつか壊れます。
この像は、今後どんな扱いをされるのでしょうか。
あと90年経った時、この像たちはまだあるのでしょうか…。

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2026年1月28日 (水)

折りたたみ傘だって仲間に入りたい ~傘立てを小改造~

傘立てに、折りたたみ傘用の場所を追加します。
「アフター」です。

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「ビフォー」です。

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(相変わらずムダに傘が多いですねえ)

昨年、旅行先の飲食店で折りたたんだ傘が入る傘立てを見まして。
「これ、いいな」と思っていたのです。

調べてみると「折りたたみ傘も」という傘立ては大きく2タイプに分かれるようです。
A 既存の傘立ての一部を上げ底にする
B 既存の傘立てにミニ傘立てを追加する
我が家の事情にはAが適していると判断して、こんなのを作りました。

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まあ、どうということもない簡単木工です。
後はこれを付け足すだけです。

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(側面に板を追加した方がいいかもしれません)

これで、傘の置き場所が一元化されます。
折りたたみ傘を探す、ということがなくなります。
(お恥ずかしい話ですが、今までしばしばありました)
折りたたみ傘さんも、他の傘と一緒にいられて喜んでいるのではないでしょうか(^^)。

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(「わーい」)

【余談】
いつも思うのですが、なぜ車には濡れた傘を置く場所が設けられないのでしょうか。
これだけ使いやすさを追求している日本車が、なぜ傘のことを考えていないのでしょうか。

アフターマーケットやオプションにはいろんな製品がありますが、決定版はありません。
そもそも、雨の多い日本で標準装備されていないというのが不思議です。
「世界で売るには余計な機能」と言うなら、国内専用車にはあっても良いですよね。
特に軽自動車なんて、車の売れ行きを左右するくらいの大切な機能だと思うんです。
「軽は幅が狭いから…」なんて弱音は、日本のメーカーなら吐きませんよね。
そういう制約を多々克服してきたからこそ、今があるんですものね。

さて、この問題を解決してくれるのは、どのメーカーでしょうか。
それとも、アフターパーツメーカーかな。
これって、特許を取って大もうけできる案件じゃないでしょうか。

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2026年1月27日 (火)

陳腐で型通りの感想ばかり ~TVニュースの子どもたち~

「どうでしたか?」(取材者)
「…たのしかった」(子ども)

News

こういうTVニュース、見たことありませんか。
私は、NHK名古屋が流すローカルニュースでしばしば見ます。
気になるのは、子どもの感想です。

「おいしかった」
「おもしろかった」
「きれいだった」

そういう感想ばかりなのです。
陳腐で、型通りの言葉です。

子どもが悪いのではありません。
子どもって、もっと多様な感想を言うものです。
でも局としては「こう言ってほしい」という意図が先にあるわけです。
だからそれに合う、型通りの感想だけを放送するのです。
(放送局や新聞が学校に取材に来た際の経験に基づく、私の想像ですが)
(大人の感想だって局の意図に合うものしか放送されないわけですが)

昔、小学校低学年を初めて担任したときのことです。
子どもたちが書く日記や作文に、同じパターンが頻出することに驚いたことがあります。
最後に、こう結ぶのです。
「たのしかったです」

何人もの子が、毎回同じようにそう書いて終わるのです。
異常です。
誰かに教えられたのでしょうか。
型を教えることは、悪いことではありません。
でも、いつまでもそれでは、いけません。

私、ニュースで子どもたちの感想を聞くたびに、あの年のことを思い出すのです。
NHKさん、子どもだってニュースを見ているんですよ。
NHKは、発想や語彙の貧しい子を育てたいのですか。
現場では、大人をはっとさせるような感想だって収録したはずです。
そういうのを毎回切り捨てていて、いいんですか。
陳腐なのは、実はニュース制作者の発想なんじゃありませんか。

【蛇足】
一つのトピックの最後に、幼い子どもにしゃべらせて
「かわいい!」と視聴者(大人の)に思わせたいのかもしれませんね。
それって、子どもをバカにした使い方だと思いませんか。
TVCMに「かわいいから動物を使っておけば良いだろう」というのと同じじゃありませんか。
私の孫がニュースでそういう使われ方をしたら、放送されても喜べません。
むしろ、腹立たしく感じるかもしれません。
制作者さんも、そう思いませんか。

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