●圧倒されます

行く前に、ネットでは見ていました。
でも、実物を目前にすると、口から言葉が出なくなります。

解説看板には、こうあります。
「昭和12年上海上陸作戦」
「上陸後三月足らずでほとんど全滅」
「遺族が戦没者の一時金をもって写真を基に造らせ建立」
報道では「戦死者〇〇〇名」とひとくくりにされてしまいます。
私は口先で「ひどいな」「かわいそうに」とか言って終わりにしてしまうことがあります。
でも、こうして一人ひとりの姿を具体的に見せられると、もう手を合わせ頭を垂れるしかできません。

昔、先輩の先生がこんな授業をしたことがあります。
新聞等から、人の顔写真だけを切り取ります。
それを、広島原爆の死者の数だけ集めます(1万人分だったかも)。
写真を紙に貼り、「死者十数万人」を感じさせるというものです。
(今でも、同様のことが世界各地で行われますね)
ここでは、それが立体であり、しかも写真に基づいたリアルな顔なのです。
92体並ぶだけでも、圧倒されます。
これが千体、一万体、十万体だったら、ということまで考えさせられます。
そして一体をじっくり見ると、それぞれの人の人生とか、遺族たちの悲しみとかについても考えます。
私の想像力では、数字だけ見てもそこまでは考えが及びません。
今までの自分の浅はかさをも思い知らされました。
日本は侵略した側だ、という意見もあるでしょう。
日中戦争は国を守る戦争じゃなかった、という意見もあるでしょう。
でも、ここにいる人たちは名古屋にいて、命令されて出撃して、そして亡くなったのです。
見方を変えると、侵略を決めた人たちのせいで命を落としたわけです。
●日中戦争について学びなおす
小中学校の社会科の授業では、こんな教え方です。
1931年 満州事変
1932年 満州国建国
1933年 日本が国際連合脱退
1937年 戦線拡大 日中戦争
1941年 太平洋戦争
教科書は「15年戦争」の日本人戦死者は300万人以上とひとくくりにします。
TV等では、アメリカとの戦いばかりが取り上げられます。
私、この兵士像を見て「日中戦争でも多くの戦死が出た」ということを思い知らされました。
調べてみると。
「日中戦争における日本軍の戦死者は約40万人」
「15年戦争全体では約230万人 民間人約80万人」
なるほど。
比率で考えると、どうしても中国での戦死は軽視されてしまうのでしょう。
でも、40万人って大変な数です。
(もちろん中国側の被害の大きさを忘れるべきではありません)
日中戦争について改めて学ぶと、ウクライナ侵攻との類似点に驚きます。
「日本軍はすぐ終わるだろうとたかをくくっていた」
「満州事変の段階ではあえて宣戦布告をしなかった」
「中国軍にはドイツが兵器等の支援をしていた」 等々。
NHKさん、これって「映像の世紀」で取り上げるべきじゃありませんか。

●浅野祥雲氏に改めて感服する
この兵士像を造ったのは浅野祥雲氏だと知って、二度驚きました。
浅野氏は当地では「コンクリート仏像師」として知られています。
関ケ原ウォーランド、五色園、桃太郎神社等にある人体像群が有名です。
私はそれ以外の場所でもいくつかを見たことがあります。
それらの場所はしばしば「珍スポット」として紹介されます。
作品について、ウィキペディアはこう書きます。
「リアルさ、稚拙さ、ユーモラスさを併せ持った作風」

中之院の像は、他の浅野氏の作品とは雰囲気が違います。
「稚拙」「ユーモラス」は全く感じられません。
浅野氏の他の作品は、故意に「稚拙」「ユーモラス」という味を加えていたのかもしれません。
そう言えばプロ級の画家たちは、こう言いますよね。
「本物そっくりに描くことなんて簡単」
浅野氏にとっての人物像制作も、そうだったのかもしれません。
この兵士像が作られたのは「昭和12年から18年」だそうです。
浅野氏が46~52歳頃の作品ということになります。
脂が乗った時期だったのでしょう。
それにして、これだけリアルなものをこれだけの数作ったというのは驚きです。
浅野氏は、戦争のさなかに、どんな気持ちでこの人物像を造っていたのでしょうか。
●今後どうなる
案内看板は、こう説明します。
「当初は名古屋市千種区にあった」
「戦後進駐軍が取り壊しを命じ」
「僧侶が(中略)あれを日本人の手で壊すことはできない」
「壊すというなら我々をこの場で銃殺した上であなたたちが行って壊せばいい」
「像は壊されずに済んだ」
「ご縁により平成七年に移転」

(雰囲気のある山門)
この像たちは、二度の危機を乗り越えて今ここにあるのでした。
ただ、作られてからもう90年近く経っています。
雨ざらしで、劣化が進んでいます。
ここに来ようと言ったカミさんの意見は「これでいいんだよ」
私は「屋根くらいかけてあげたい」
コンクリートである以上、放っておけばいつか壊れます。
この像は、今後どんな扱いをされるのでしょうか。
あと90年経った時、この像たちはまだあるのでしょうか…。
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